あるあり日記

個人的な感覚・感想

都市伝説や陰謀論などは現在では誤認の上に噂に尾ひれが付いているだけ

近年、都市伝説や陰謀論などと言った個人的には戯言にしか思えない様な物がもてはやされている。

しかも事実誤認の上に他者から聞いた噂話に個人的な拡大解釈を付け加えているが為に、おかしな方向へと出来事が世間に広まると言う始末である。

昔はある意味で戒めの様な諺や神係った伝承みたいな物があり、専らモラルに対する育成に用いた手法であるも、現在となっては全く頓珍漢な非科学的なそしてあらぬ解釈を持って勘違いも甚だしい思いである。

現在はやや様々な事象があって混沌とした状況下にあり、ここぞとばかりによく訳の分からない様な情報がそれこそ錯綜状態にあります。

近々の話題として宗教団体の話も出ているが、これまでに幾つもの大小規模を問わず新興宗教が興亡を繰り返している。

そしてそれを政治にあたかも全面的にそれらが決めているかの如く話題となっている。

以前も述べたかもしれませんが、そんな宗教団体よりも遥かに組織票と言う物の方が影響力が強く事実誤認のきらいが見られる。

これは国だけではなく都道府県や市区町村における議員に関しても同様の傾向は昔からある事で、例外を除けば宗教団体よりも他の組織票の方が遥かに影響力を持っていると言うのは判り切った話である。

今回話題を呼んでいる宗教団体よりもとある創〇〇会の方が団体組織として遥かに大きく、新興宗教内でよく起こる一連の騒動なども新興宗教ではよくある問題面であり、一つの宗教団体のみを問題視するのはよろしく無く、他にもあるでしょと言いたいくらいですね。

この傾向は宗教団体に限らず団体組織としてのガバナンスなど一部にか届かず、狂信とも言えるような一部の人々又は個人等により起こりえる事象である。

企業でもスポーツの組織やファン、有名人や著名人などのファンなど置かれている状況はやや異なれども、起こしている言動は個人的には同一視とも捉えられます。

良識ある人々が巻き込まれない事に注意する必要が現在では非常に重要であり、予防をしていかなけらばなりません。

これも最近では話題とも言われている現象の一つですが、これらは自身の個人的な感想ですとでも言っておいた方がいいですよね。

それにしてもくだらない(くだらな過ぎる)・馬鹿馬鹿しい・どうでもよい・聞くに及ばずなど思う現象が多い時代なのか、そうした年齢に自身が来たのかは分からないも、思う事は年々非常に多いような気がします。

リスク分散するも既に後手となっている

様々な分野において様々なリスク分散と言う動向が現在では多くなってきているものの、大規模な所では依然として既存の流れに変化をもたらす事が中々出来ず、流行風邪に起因する抑制が非常によく同調圧力のように働きかけ回転が滞りがちとなり、最近になってようやくリスク分散に踏み切るも既存の流れ・しがらみからの脱却・並行する事が困難になっている。

また、土台とも言える現場での仕事においては人員の分野への偏りが生じており、更に経営状態により支えに支障が起きている為に、人員の偏りは解消されるどころか一人当たりの負荷が多大なる影響を及ぼすために、心身において支障が生じるなどの問題も多発して来ているので、結局は安定すら危ういと言う状態が継続しているとも言える。

ここ2年余りでの倒産・破産・民事再生・自己破産などの件数は増加を辿る傾向にある。

経営難や不適切な経営が問題を多発させる要因もここに来て同じく増加しており、改憲による適時見直しが必要も、これも後手となっており更なる経済的な悪化が見込まれ継続していくであろう事も想定の範囲ではある。

規制などの改正や改憲が行われている模様だが、運用する側が不適切であったりやたらに不正をする側などが存在する以上、効果の程は一般的には感じられない程度にとどまる。

今では耐用年数や品質・素材などのこだわりよりも新技術や大量生産・低価格での要素に重きを置きがちになる傾向がある為に、知見が失われがちともなってしまっている。

ただ単に相互に利用しあっているだけである

今回の一連の事象に関して様々な批判や意見などがあり、主だった立場にある人々には集中砲火の報道などがなされ、議論や問題化している事態となっている。

ただ歴史的に見ると現在でもこうした団体や企業と政治家などの関連は癒着したり、相互利用していたり、規模の大きい争い、一般の人々の被害などは起きている事であり、それぞれの国々によって様子は大いに異なる。

日本では古くから神道(神社)で、その後に仏教(寺社)が広まり宗派による一向一揆などが起きたり、新たに入ってきたキリスト教などによる争いや国を挙げての抑止などの経緯がある。

近年ではそれらの派生した物や解釈を改変した物、一部類似するも全くもって新たに立ち上げられてきた物まであるなど、多彩で多様な考えを元に団体が作られてきていて、ほぼ何かしらの経緯により消滅したり、時代により入り口を一般的な事柄に付け込み集める物まで存在しており、時として流行までしたりするなど様々である。

それらが政教において何かしらの相互利用と言う物は、どちらにも宣伝や周知、人集めに関してはなされており、特段政教に限らず一般社会においても類似するような事柄は大いにある。

但し、法的・政治的に関りを及ぼす物は取り扱いに慎重を期さないと大問題となる。

互いに持ちつ持たれつと言うより、利用し合っているだけである。

個人的には全くあまねく程にある宗教に対する信仰は皆無であるが、今回の故人の国葬に関する事例において、その日を休日とするのかと問いかけているマスコミも頓珍漢な質疑である。

そもそも論で何で休日にする必要性があるのか理解できない。