あるあり日記

個人的な感覚・感想

暗号通貨も所詮その程度

情報通信伝達技術の進歩により現金決済から銀行や決済代行会社によるカード決済に、更に進展してスマフォ、パソコンなどのモバイル決済が行われる事でそもそもの暗号通貨の技術と意義と言う物が消失し、株や先物投資信託などと同様の投機商品と化し証券会社として扱うにあたり会社自体の資産運用が比較的安定していない不健全な代物となっています。

新たなる暗号通貨が様々と広がるも元々が有って無いようなゲームみたいな性質により、今後も技術と言うより何処まで行っても投機商品であり同様の証券でも起きている破綻と言う事例は当然隣り合わせになります。

金融商品ではこれに保険などが組み合わさっているも、銀行や証券会社においても運用技術と安定性が求められるのは同様で、運用が不安定であったり不健全であったりそもそもが資産が高騰時のものであればある程にちょっとした相場の低下で資産そのものが低下してしまうと言う事象により、経営不振や経営破綻などが一気に起こると言う危うい側面も持っていると言う感覚が経営者には求められます。

個人の資産運用が広く浅く広がりつつある現在では当然の事ながら先行きが不透明な物ほどにどちらかに転ずる事でおかしな現象が起こります。

経営での運用側では手数料を始めとする幾つかの経営がなされていて事業が成り立てば安定し、目先の資金集めだけに走る行為などで売買手数料を無料にしたり他の信託料などの報酬を薄くすればする程に並行して行っている他の事業が成り立ってなければ経営が成り立たないと言うごく当たり前の状況となる。

話を戻し暗号通貨が投機となってしまった以上、それぞれの通貨が暗号通貨に取って代わった時点で意味が無くなります。

先に述べたように元々があって無いような代物なのでそれぞれの本来の通貨が暗号技術を現物と併用して利用して流通した時点でどうなるのかが考えただけでもおかしくて仕方がありません。

ゲームのようにオンラインでガチャによる課金問題が起きましたが、これこそが仮想空間だけに存在する代物の代表であり、データだけの存在価値で現物には何もないと言う疑似的な感覚に陥らせると言う錯覚そのものである。

これが暗号通貨においても同じ性質を帯びており、またサイバー攻撃による被害も受けている技術である事から、いまだに普遍的な通貨にはなりえないと言う現実的な問題もあります。

デジタル化においても良い側面と悪い側面が並行しており、人間が技術として確立した時点でそれを悪用すると言う技術も出来ると言う証明をしている様な物であり、古典的な話ではダイナマイトや原子力核分裂などが良い事例である。

使い方次第でどうとでもなる物程にえてして本来の使用には余り活用されないと言う歴史的な事象が存在しています。

もうそろそろ通常生活に戻っても良いころ合いではないのか?

流行風邪による影響と言う物は計り知れず人々の日常生活をぶち壊し、偏向報道が継続して行われている現在では、非常に窮屈で慣例的になってしまった感覚により普遍的な日常生活を取り戻せない気運が未だにある。

但し、的確に研究や医療技術などの展開は進んでおり流行風邪の実態や経過なども解明できている状態まで進展しているので、国や行政などが率先してこうした異状な状態を解消して行かなくてはならない。

見方によっては今回の流行風邪では当初はワクチンや治療薬ありきではあったものの、抗体ではなく当たり前ではあるも自然獲得免疫などの重要性もあるとの事で、そこまで例外を除き予防に徹すると言う異様な光景を見直さなくてはならない。

国民も医療従事者も疲労困憊でうんざりな規制などで、本来診るべく患者がおざなりにされてしまうと言う経過も未だに起きている状態である。

これらもやはり国や厚労省などがきちんと判断して適切に国民などへ理解を促し、過剰な予防などは返って異なる問題や育成環境に悪影響を及ぼすと言った経緯もしっかりと説明し、行き過ぎた状況を打破しなくてはならない。

マスコミやメディアなどでは冬に向けてまた煽り始めだしているも、適切に過剰にならない行動が出来る環境づくりをする必要がある。

異様に報道では同時流行などとたわけた事を今年も同じように報道している。

何をもって同時流行するのかの科学的な根拠を示していない。

どちらかと言えばそろそろ普遍的な日常生活に戻れるように働きかける事こそが報道の在り方だと思うが、最早報道自体が体たらくしているので既存のマスコミなどでは現実と向き合う事は出来ない。

自粛には限度と言う物がある。

日本では良くも悪くも慎重さと言う性質・国民性があり、決めきれない、決断に乏しいと言う状態が継続する傾向があり、えてして今回は当初は良くとも時間経過と共に悪い面が残ってしまうと言うきらいが見られずるずると長期化させたり、気運を逃すと言う傾向が見られる。

動向の不安定さ

日本を含め世界的に政治的な情勢が不安定であり、経済的な機会が訪れている所でも中々新たなる適切な展開がなされていない中であらゆる国々では国民がそれらの動向を様々なメディアなどによる報道を素直に受け入れていたり、或いは懐疑的に思っている人々との乖離が更なる情勢不安をもたらしている。

比較的慢性となっている経済的な格差と社会情勢の移り変わり、変革の無い所など含めても時勢に合った合理的な動向と言う物が受け入れられずに社会が動いていたり、強制的に動かされている動向もある為に安定と言う世界は程多くなるばかりである。

科学技術の進歩や文明の発展などが起きているもただ単に格差や乖離ばかりを生み出し、またそれらによる消失してしまうであろう機能の改善なども行われずに胡坐をかくと言う状態に置かれ、取り戻そうとすれば時代が逆戻りしかねないような危惧も考えられる。

人間は常に前を向いて進むと言うのばかりではなく、時には状況により過去を省みたり、場合により少し前に戻ったり、或いは一度まっさらな状態にしたりなど適切な改善が常にではなくとも幾度となくそうした機会や壁は訪れるので、過信するのも良くなく後ろ向きになるのも良くない絶妙な均衡状態を保つ事が重要である。

人生は常に勉強と言うか学ぶことの方が遥かに多いと言うのが実際であり、終焉までは至っても自身が悟る事など無く、悟る事無く終焉を迎え、他者が批評を下すのが経過である。

情報伝達が行き届きすぎた結末が現在であり、情報伝達が不適切や不便であっても上手くいく事はある。

デジタル化により良い側面もあるが、未だにマルウエアやランサムウエアなどの古典的なサイバー攻撃はインフラの発達が行き届いている程に脅威でもあるが、考え方によってはその程度のものであるとも言える。