あるあり日記

個人的な感覚・感想

新型コロナの影響を受けた宗教的な活動への制限

日本にはありがたい事に宗教の自由が法律で定められているおかげもあり、主には仏教ではあるものの神徒に移行する人々もいる一方で、様々な国内海外問わず色んな宗教を基本的には選択できます。

日本では海外からの移住者も以前住んでいた所で崇拝していた宗教を持ち込んで自由に信仰を継続できます。

今回コロナ騒動で悔しくも亡くなられた方々は葬儀などの宗教的な活動を制限せざるを得ない状況であり、更に新型コロナと判明した方などは火葬が済むまで面会できないと言う非常に残酷な状況が起きました。

自粛の方針が終わってしまった現在ではもはや振り返っても取り戻す事の出来ない人生での出来事となってしまっています。

結果論ではあるもののこの自粛期間で親族や近親者でさへ下手をすると亡くなった事が後になってから分かったと言う事例も自身で体験しています。

現在では徐々に予防措置などを取りながら平常に戻りつつありますが、このコロナ騒動は今考えてもとんでもない事を色々としてくれたのだと思っています。

葬儀だけではなくお年忌でさへ憚られていた状況ですので被害と言うか故人を偲ぶ習慣さへも出来ませんでした。

勿論宗教によっては布教活動や集会なども行っていた宗教もあるのでそれも自粛と言う名の束縛を受けたと言えます。

自身は個人的に宗教と言うものへの信仰は無く、ただ自身の家系だけを尊重してお参りしているだけで、神様がどうとかと言う非科学的な成り立ちや説法などは全く信じていません。

ですので歴史的な事実が立証されているものと科学的に解明されている部分しか受け入れていません。

よく自宅への戸別訪問による布教活動に来られる方に言っているのは、科学的に立証されている事しか信じられませんとか、科学的にはまだ立証が確立していないから現段階ではこの話は受け入れられません(信じる事が出来ない)など、何にせよ科学的な話へとすり替えて(切り替えて)帰って頂きます。

決して一方的な否定(拒否など)はしません。

これは福祉関係の仕事をしている関係でこういった対応の方法が一部身についている事も影響していると思います(勝手に思っています)。

宗教に関しては強制すべきものでもなく、法律にて信仰(宗教)の自由がある限りは他人(たとえ親子であろうとも)に対しては関係ない話だと思っています。