あるあり日記

個人的な感覚・感想

政治と金とはよく言ったものだ

コロナ騒動の余韻が残っている中で、新たにと言うか既に目を付けられていたと言うべきか公職選挙法違反に関する記事や、公的資金の流用の在り方などについての疑惑がニュース記事などを沸かしています。

昔から政治と金と言う諺に近い言葉がありますが、まさに今起きている事はこれに当てはまるであろうと思っています。

選挙や公共事業などは名を変え利用方法を変えながら、昔から疑惑付きの事例でもあります。

この様な事が話題となっている要因の一つとして、公的資金は税金であると言う性質を持っているが為に、国民感情や関心などを特に浴びる様な出来事となってしまいがちです。

勿論適切に処理と言うか活用されている使い方もある一方で、疑惑付きと言うかもう事件として成立してしまう事が今でも少なからず行われていると言う現実を突きつけられます。

性質上特に使われ方(使用方法)について懸念材料のあるものであり、一度予算などを付けられた以上はキッチリと使い果たしてしまわないと、次年度なり以降には減額されてしまうと言う性質も持ち合わせている事も大いに関係していると思います。

予算なり委託金なりが余ってしまう事態が起きてしまうと、予算を付けた大きく分けて各省庁や地方自治体などが返却する事は困難(無理と言われてしまう)である以上は、キッチリと使い切らなくてはならないと言う使命(習慣など)みたいなものが無意味に発生してしまいます。

民間の事業者などはキッチリと使い切らなくとも内部留保として保管する事が出来ますので、公共事業などとは到底相容れぬ性質が浮き彫りとなった挙句、こうした事件みたいな事象が起こって行きます。

そもそもの考え方と言うか習慣みたいな部分が民間と公的機関ではおおよそ同じような使い方が出来ないと言う事になります。

民間では足りない部分は銀行などの融資に頼ったりしますが、国や地方自治体では債権として借りなくてはなりません。

現在国の借金が1000兆円を簡単に超えています。

話は変わってしまいますが、この国債は今後も無くなる事は当然無いと言う事態はおおよその人々が気が付いていると思います。

国でなくとも地方自治体でもある所には債権は残っています。

国債に関してもう少し今後どのように対処していくべきか考えなくてはならない時期に来ている様な気がしてなりません。

余談ですが国債をよく国民一人当たり幾らなど示されますが、この表示の仕方に対して疑問を感じるのは自身だけでしょうか?