あるあり日記

個人的な感覚・感想

道徳を教えるべきは学校か両親か?

現在は自己の表現の自由とも言える情報の発信方法の発達とそれに対する評論などの活性などにより、やや過剰ともいえる様な出来事が起きてしまいます。

時にはそれは事件となる様な犯罪行為にもなりかねません。

一昔の情報がグローバル化していなく、ある一定区域や国内のみでしか評論や批評など起こらない時代では、思想や考え方、風習から道徳、価値観なども狭い世界での話であり、こと今回の道徳と言う面に関しては環境面での影響が強く出ていました。

現在では特定の地域しか知らなくとも情報の取得方法の多様化と多種多彩な価値観が示されて、本来の道徳と言う基本的な事でさへ崩壊しつつあります。

何が正しいのか?と言う問いに関してもその時代を反映した答えが出てくるでしょう。

道徳と言う物を現在では学校が教えるべきか?親が教えるべきか?と言うような2択になっています。

ここで一昔を考えてみると、道徳と言う価値観は親でもあり近所の大人であり、学校でありと特に絞るような事は無く自然に大人になるにつれて身についていったと思います。

要は育ってきた環境だけで必然的に身についたと言えます。

現在はどうでしょうか?核家族化や過疎化が進み、近隣住民とのコミュニティやコミュニケーションでも一昔と異なり、ある意味で情報が安易に習得できる時代で広がる一方で、やや偏った考え方や新しい考え方、捉え方と言う事が良くも悪くも出ています。

どちらかと言えば偏っていると言った方が現代では正しいのかもしれません。

道徳・モラル・マナー・風習などでも一昔とは異なった時代です。

何が正しいのか?と言う基本的な質問にさへ解答が定まっていないのが現在です。

話は戻り、道徳を教えなければならないのはこの人と言う答えは本来であれば無い筈です。