あるあり日記

個人的な感覚・感想

池袋交通死亡事故の初裁判の経過を見て思う事

今から約2年と半ば前に東京の池袋において、高齢者の事故で二人の人が亡くなった事件に関して初公判がされました。

この事件に関して大きく分けて2つの事柄が改めて考えさせられます。

まず1つ目として、高齢者による誤作動や誤認識により交通事故が近年軽重問わず多くニュースとして取り上げられています。

運転の基本的な認知・判断・操作というキーワードを免許を取得する中で耳にした事がある人が多いと思います。

どの部分が欠けていても事故につながる可能性が高いと言えます。

多くの高齢者は日常生活においてまた特に過疎地域などは、自動車での移動が当たり前であったり必要不可欠な場合が多く、認知や身体機能の低下が起きている事実があったとしても利用せざるを得ない状況があります。

しかしながら最近ではこうした高齢者による事故の多発が周知されたのか、本人の意思(自主的に)、家族・親族・知人・医師などの勧めにより免許を返納したり、免許の更新をしないと言った高齢者も多くなってきています。

また高齢者における免許の更新についても講習や実地、簡単な認知検査など行われていますので規制もやや厳しくなっている所だと思います。

2つ目に思うのは、当初から言われていた所謂上級国民に対する対応の甘さみたいな事です。

これは何も今回の交通事故の件だけに関わらず、既得権益がある様な関係者においても事件化されない、事件になっても報道・警察・検察などの機関の扱い方が何か忖度していると言った事例もあります。

ことマスコミに関して言えば芸能人や著名人などのスキャンダルなどは過剰ともいえる様な報道がなされますが、自身の社内においての訴訟や事件などについては、大きく報道されずさらりと済ましてしまうと言った公平性に欠けた事を平気でしてきます。

今回の池袋交通死亡事故の件の記事や経過を見ていて改めて不満や猜疑心が高まる一方です。