あるあり日記

個人的な感覚・感想

ボランティアといじめと言う言葉の使用について疑問

ここ最近の話題で何かと耳にする言葉2つが個人的に少し気になっていましたので記事とします。

言葉自体の引用の仕方に疑問を感じている為に取り上げる事にしました。

先ず、【ボランティア】についてですが、そもそもボランティア活動では有志による無償の奉仕活動と言うのが基本であり、確かにボランティア活動に参加するにあたりその人々への賃金は発生しないが、ボランティア活動において何かしらの不意の事故などがあった場合の補償とも言えるボランティア保険に入る義務がありますので保険に対する費用負担(基本自己負担だが経費として計上するのであれば)となれば止むを得ません。

今回の五輪に関してそもそも日当や賃金が発生しているだけで【ボランティア】と称する事自体がおこがましいと思います。むしろ間違えと言えます。

そして多くの人々が感じているであろう【いじめ】の引用定義が非常に曖昧である事。

【いじめ】でもあり【ハラスメント】でもあり、常軌を逸すれば【傷害・脅迫・暴行等の事件】ともなります。

こと今回の件では【いじめ】ではなく、【恐喝・傷害・暴行】事件であり、【いじめ】という言葉の範疇を遥かに超えており、【いじめ】と言う言葉自体の定義をおかしくさせる出来事であったと思います。

この2件の言葉に関してマスコミやメディアは何と稚拙であるかと言うのを感じざるを得ませんでした。

これらの言葉が今後も歪曲された引用をされて何かしらを隠す手段とするならば、更に劣悪で卑怯な言動と言わざるを得ません。

ついでにホロコーストの件に関しても意見の相違が様々ありますが、グローバルで見るのであれば切り抜きであろうとも前後のやり取りをすべて含めたとしても、これは常識の範囲を超えており、決してお笑いでやっては(触れては)ならない、ましてやテレビなど公共の電波を利用しての放送ともなれば問題となるのは当たり前の事です。