あるあり日記

個人的な感覚・感想

池袋暴走事故の判決結果と問題点について

これを語らずして終わってはいけないと思っていましたが、ついさっき思い出しさっそくブログにあげる事にしました。

池袋暴走事故の件です。

被害者にとっては長い道のりであったと同時にこの結末と経緯に関してはやはり納得いくような状況ではなく、本来あるべき報われた結果が訪れていないと言うのが本音でしょう。

事件当初では、加害者は被害者たちの救済救命措置もせずにパニックとなり息子にラインで事故の件について報告している始末。

また、かつて技術官僚のトップにいた事もあり、その界隈では知識や経験と共に尊敬されていたと言う人物である。

それが自身のミスで起きた事故ではなく、車両の異常により起きてしまったと言う事を示してからが問題の始まりである。

仮の話としてそうであったとしても、この時点で少なくとも誠意ある謝罪と自身のミスであったと認めていれば大事にはならなかったと思われる。

現実としては自身の過失を認めずに裁判迄臨んだことで国民の怒りを買い更に、上級国民と言うレッテルを貼られ、加害者だけでなく家族までも巻き込むような世間からの非難を浴び続け、間接的に社会的に制裁を受ける経緯に至る。

裁判での判断に持ち込んだことは加害者においては本当はどうであったかと言う事は本人以外は分からず、車両のメーカー技術担当までもが駆り出され、車両のペダルの痕跡と記録データと検察による防犯カメラでの映像などでもって争う形となった。

ここに加害者は高齢と言う事と、医師から身体的な機能低下により運転は控えるように言われていたと言う事実も今回の裁判で用いられたものである。

世間では上級国民・高齢者・身体的機能の低下がみられる姿の報道などにより、猛烈な一方的な非難を浴びる形であった。

ただしかしながら、残念な事にそうした世間がバッシングした事も判決に勘案されてしまい、本来の判決よりも減刑されてしまった結果となった。

問題は更に続く、加害者は無罪を主張して臨んでいる以上、本来であれば最高裁まで行く事で本当の意味での判決が下されるはずであったが、一審の判決でもって認めてしまい、謝罪をしないと言った世間から見たら腹立たしい感じである。

ところがよく考えてみると、ここに来て謝罪した所で被害者も世間も納得できず、一部の有識者では真実が隠れたままであると言う事を考えている人々もいる。

防犯カメラはともかく、車両における記録データが果たして本当に正しいのかを証明できていない。

これは車両に記録データを搭載したものでメーカーごとと車種において、記録データがどこまで正確か、100分の1台には異常が出ると言った様な記載が今回の車両においてはいまいち統計的な事故記録データが乏しい事にある。

実は記録データにおける誤りは無いと言う前提で事が進んでいると言う訳である。

これが一般人での事故であればどうであろうか?

非常に闇が深く非常に不適格で非常にスッキリしない結末になってしまい、本来の被害者の真の救済には繋がらないと言うのが一つの考え方である。