あるあり日記

個人的な感覚・感想

中高生に対して勉強をしろとは言いにくくなった

中学生や高校生の学生を持つ親御さんや何かしらで関りがある人が、「勉強をしなくてはならない」「勉強しろ」「もっと頑張って勉強をしろ」など言いにくい状況が自身でも実は実感している所である。

まだ中学生くらいならば何とか教えれる事が出来たものの、高校生ともなると文系や理系などある程度専門が異なる事と、自身の教えれる・アドバイスできる範囲は極端に年々と無くなり(記憶にありません状態)、下手をするとダメだしされてしまう事態にもなってしまう。

自身の頃は教科書も現在の物と異なり活字・図・人物像などで淡々と記述されていた記憶があるが、現在では漫画ちっくな教科書であり個人的には分かりにくくなってしまいました。

更に自信のあった教科にしても社会に出てから使ってなく、頭にも染み付いていない事で問題などを見ればやった覚えはあるが解けないと言う残念な状況です。

そんな子供や学生たちに勉強しろと言っても、「じゃあ、これ分かる?」「解き方教えて」と言われても、こちらが公式から見て思い起こさないと解けないし、解き方も自身の学生の頃と異なっている様で「これじゃあ正解にならないよ」など言われてしまう。

子どもに負けてしまう哀れな大人になってしまったと個人的には感じる場面も少なくない。

自身はまがいなりにも高校では進学校では無いにしろ理系進んでおり、勉強したであろう科目を思い起こすと、古文・漢文・現代文・数Ⅰ・数AかB?・基礎解析・代数幾何微分積分・確率統計・化学・物理・現代社会・政治経済・世界史・英語・保健体育・音楽・情報だったような気がします。

道徳なんかあったかも覚えていません。

今では数学なんかは科目区分も変化してしまい、文系は元々分からないですが理系であっても区分が異なるようです。

自身が仮に現在の中高生になったとしたらやや異なった世界が見えたのかもしれません。

大学入試にしろセンター試験にしろ自身の頃とは少し違いもあるようで、もう子ども任せです。

大学にしろ同じ分野へ進んだとしても、特に情報処理は過去の遺産しかなく、ASSEMBLER・COBOL・BASIC・FORTRAN・Ⅽ言語と初期のプログラムであり、現在はC++・Java・Pythonなんかあり、ハッキリ言って同じようで異なる仕様でしかも現在利用してないんで何が改良されたのかも分かりませんし、見もしませんし、触れてもいません。

簡単な文章や表計算ソフトでも一太郎やLotus123でしたからね。

ここらのソフトは現在で言うWordやExcelと変わり、幾ら介護・福祉従事者としても利用はしていますので、子どもにも教える事は出来ますね。

冒頭でも触れたように兎に角何でもかんでも勉強しろとは言いにくく、得意な分野を伸ばせとしか言いようがない気もします。