無宗教的な概念はほぼ無いに等しいと思える
よく宗教がどうのこうのとか、宗教間での争い、宗派の相違など言われており、自然或いは偶像、神、妖精、精霊、物などを既存の宗教では体系化された信念に基づいてあからさまに崇拝している事を信心があるとされている。
日本においては宗教の信仰の自由と言う極めて反社会的、社会通念上弊害があるなど以外は一応自由とされていて、既存又は新興の宗教と言われている物を信仰したり、無宗教と言われている様な信仰が無いと言われる人に分かれているように思える。
しかしながら、体系化されていない事柄においても日常的に何かしらのちょっとした事でも願う、祈る、ゲン担ぎ、習慣、その時限りでも上手くいくように思わせる思考や行動は最早無宗教的な考えとは言えないと考える。
先にも述べたが、ゲン担ぎや風水、占い、暦、節目、特別な日と言う習慣自体が商用的な手法により作られたものの、その思い自体が宗教における進行に類似している行動である事が分かっていないだけであり、無宗教と言えども何かしらの見えない所に願いを込めている行動や考え方、思考は宗教的な行いと何も変わりが無いと個人的には思える。
神や仏や先祖や幽霊や自然現象でなくとも、その何かしらのものでも無いのに祈願する行為自体が自然にやっている現状を果たして無宗教的な価値観と言えるのか?
類似的な行為が依存・共存と言う現象に近い。
やっている事は違えども、現象としては同義に等しい。
それらの人間の当たり前の事象を説いて分かりやすくあからさまに行う事、人々を納得させ体系化させたものの元が仏陀、マホメット、キリストと言われているに過ぎない。
その派生で更に体系化させていったものが宗派に分かれる。
但し、その時代の背景や諸事情によりそれらは歪みを生み時には恐ろしい事態までも起こすような集団や事件・争いも生まれる。
上手くは解説できないが誰しもが行っている当たり前の事象は全て元祖の教えの一部に近い物であると言う思考や行動から逃れられないのが人間の生き方である。