あるあり日記

個人的な感覚・感想

大きな被害が起きても他人事のように日常活動が行われている

自然災害、終わりなき紛争、戦争などで広域でない出来事に対して、関係が直接的に関りが無い人々や地域、団体、国々では余り影響が感じられずに普遍的な活動が表面的には行っている。

詳細に分類などすれば直接的或いは間接的に第三者は異なった形での軽微な影響はあるものの、極端な積極的な行動変化には移行しない。

マスコミやメディアなどで流行風邪にしても紛争にしても戦争にしても事件にしても日々連動されていない途切れ途切れの情報拡散が行われている現実がある。

何事にも一つの事象に対して一時的にはお節介なまでにも情報拡散が行われる傾向もあるが、同時に幾つかの事象が表面化してきている出来事では時事的な報道に関しても、現時点で起きている状況と異なる解釈や解説が何故か伴い、第三者にとっても誤解や誤情報の連動による誤った動きを与える事に注意して公開すべきである。

これらは人間における心理的な部分での誤解や誤認、酷ければ偏向的な新たな考えをもたらしかねないと言う、違法における優良誤認・有利誤認の印象操作ともとられかねない。

操作としては同義でプロパガンダイデオロギーの影響を植え付けかねない。

ただ現にこうした事件や災害、紛争や戦争が起きている状況下でも日本では一部の人を除き大多数があまり関係なく日常活動を行っている。

これに対して果たして良しとするのか異なった言動に移るのかはそれぞれではあるが、何か個人的には引っかかる部分が前々から何かあってモヤモヤして仕方がない気持ちである。

所謂何か違和感を感じていると言う事である。

個々においては諸事情などが異なり何とも言えない所ではあるものの、何かがおかしいのか何か腑に落ちない状況が継続している。

もっと言えば中東での紛争や戦争時から、いやグローバル化と言う時代を迎えた時期から、下手したら自身が生まれる前の高度成長期か?戦後か?戦前か?

時代や科学が発展・進展していくと同時に良くなるものを得るが、それと同時に何か不必要な物ならば良いが、必要なものと言うかそうした物を失ってきていると言う感覚がある。

紐を説くには一つや二つと言った単純な事では無い。

もっと複雑かつ単純も交えた混合、混沌としたものがある。