あるあり日記

個人的な感覚・感想

データ集積活用で蓄積データが一気に消失する可能性がある

現在ではデジタル化が進み、更に個人情報保護法などが中途半端に成立したが為に、実はデータによる活用が阻害されている部分がある。

主には国や自治体、医療、福祉、各産業での取り扱いとデータを運用する電子機器やソフトウェアなどの相違により良い意味でも悪い意味でも取り扱いが異なる。

特にインターネットによる共有と言う部分では情報漏洩や機密情報などの保護は切り離されている所と、暗号化などしてセキュリティをある程度確保してやり取りを慎重に行う傾向が高い。

これらは普遍的なデータの運用だけでなく、利権的、利益的、しがらみなどによる運用もなされる事があり、一概に良いとは思えない。

先にも述べたように個人情報保護法成立以降に特に本来あるべきデータの活用が法律として壁となってしまったが為に、有事の際に全く意味をなさない物となった。

データ=情報・記録と言っても、個人情報なのかログ・アクセスなのか、どのアカウントで利用しているのか、誰が使っているのか、どのOSか、何のアプリケーションなのか、ソースなのか、どこのプロバイダーなのか、どこのサーバーを使っているのかなど様々である。

ただ、現在は大手グローバル企業による代物を利用している事で、電子機器或いは何かしらのバグやエラーによる障害が度々問題となっている。

デジタル化に依存しつつある中で一番怖いのは、紙媒体での消失よりももっと莫大な消失が起きて一気にデータが無かった事になる懸念が個人的には一番気になる所である。

どのハードウェアでもデバイスでもタブレットにしろ、幾ら消失した時の為にマスターデータなどのコピーを持っていたとしても耐用年数などを鵜呑みにして、紙媒体よりも便利で長く保存できると言う考えが恐ろしい。

特に電子機器によるデータの消失は断片的であったとしても、紙媒体の比ではなくて電子機器であるが故の正確に取り扱わないと再度利用できなくなると言う恐れが高い。

消失だけでなく、紙媒体と同様にある程度の知識や技術を持っていると改竄の恐れもまたある。

暗号化やブロックチェーン技術にしろ何にしろ、以前にも言ったように0と1とエラーで基本は構成され、数学で言う方程式に当てはめる又は鍵の技術、古典的な独特の変換方式での技術が結局はただ単にコンピューターで行っているに過ぎないと言うのを忘れてはならない。