あるあり日記

個人的な感覚・感想

ゆとりのある生活を送るには少し物足りない位が丁度良い

世界において幸福度ランキングなるものがあり、日本ではかなりの低い立ち位置に置かれている。

ただ日本では極端な富裕層と貧困層との乖離が諸外国に比べ少なく、中間層及び若干の低所得層が大半を占めている。

その中で諸外国と日本の日常的な生活では科学技術の恩恵を知らず知らずの内にどんな層にも行き渡っている環境が存在するが、それを活かす事が出来て生活していると言う感覚は非常に鈍く、さらなる欲求が生ずる様な選択肢が多岐にある状態である現状を認識する人は非常に少ないし、幸福である事が感じられない。

多様性と言う物を謳える日本においては、残念ながら充足が満ちているにもかかわらず選択肢の幅が広くなり過ぎた事により過激に生き方の自由が生じており、偏った自由と言う物を疑わずに選択して人生の豊かさと言う物を自らの行動により捨てている状態にあると思う。

日本人は欧米の価値観を取り入れる人が多くなってきており、本来ある日本人らしさである価値観を誤った解釈で汲み取り、自ずからしてゆとりのある生活を崩す事が起きている。

満足度を上げると言う事は良いが、満足している状態にもかかわらず選択肢の多い環境であるがゆえに満足している状況では無いと勘違いを起こし、長期的な視点が欠落し短期的で楽観的な安易である更なる要らぬ欲求を満たす為に豊かさとゆとりと言う物を捨てる事で、自身でおかしな環境や状態へと進んでいってしまう。

食欲で表すならばお腹一杯で十二分な状態を良し(過剰な満足)とせず、偏った新たなる食べ物を探し出しまたお腹一杯食べ又新なる物を探す事が当たり前となり、身体を壊していくと言う残念な行動をしている様なものである。

幾ら美味しい物でもやや物足りない腹八分の状態と出来れば誰かとの会話を入れながら食事が出来る状態を多く取り入れる事で、適切な時間帯で空腹が生じ既存にある普通の物でも美味しく感じられ人間関係も良好になり精神的に安定し、それでもって満足でき身体も動かせるし壊すような事も少なくなる。

何事も例外を除き極度な状態を引き起こす生活環境は好ましくない。

いい加減と言う言葉と良い加減と言う言葉は大きな隔たりがある。

後者の言葉であれば、日常生活においても上手な匙加減ができ時間(無意味な欲求)などに追われずゆとりができてくる。

そのゆとりは何に使おうがその時々での自由である。

現在の多くの人々は何かしらの欲求など見えない物に対して追われている状態が多く、ゆとりどころか休める時間すらない人が目立つ。

息苦しい世界を多くの人々が逆に作ってしまっていると言うのが現状と思える。