あるあり日記

個人的な感覚・感想

歴史と科学

文明の興亡歴史があり新たな復興と発達するにつれて人間は進化して行っているし、国を統治していくにあたり新たな方向性を見出していくも、極端な話としてあからさまに誤っていれば破滅しそれなりであれば安定し異なる偏った方向性に行くと異質なものが跋扈するようになる。

安定している時代と成長している時代と言う物はえてして歴史的には全盛期とも言われ、様々な分野において発達する一方で比較的豊かで自由な思想観念が生じやすい傾向にあり、求める人と蓄電する人と堕落する人など結局は安定していない時代よりも分かりにくいが負の側面がそれでも何かしらの形で出てくる。

何をもって良しとするかはその時代背景などにより異なり、歴史的経過をしていけば時代遅れとも取れかねない経緯となる。

文明の興亡などを糧に科学技術と言う物も発達していき、人々はどんな歴史的な経緯を辿ろうとも現時点では当たり前のようにその先端技術の恩恵を受けている。

皮肉な事に比較的大きな事故・被害・災害級又は戦争・大戦などの歴史的経緯と科学技術の突出した進展により人間本位である環境を整えるに至る。

しかしながらこうした文明の発展或いは科学技術の進歩と言うのにはある意味での犠牲が伴い、戦時でなく安定した時代であろうとも自然を乱し、天然資源を掘りつくし、人類と他の生き物までも生態系を崩す状況が起きてくる。

そして技術を研鑽し安定した安価な加工が可能であると言う事は何が起きているのかを分かっていない人々が多く、それにより本来であれば必要である動きなどを自然にやらなくなると言う事で人類の身体育成と健康維持が偏りつつあり、予防と言われるような運動をしたり、認知にならない様に頭をわざわざ使う時間を作らなければならないと言った現象が生ずる。

本来の古典的な人類では日常生活活動において全てがそれなりに自然に身に付いていたので、例外の病気を除き子どもの内から強靭な心と身体と知恵が育成されていた。

消失した心身の育成環境と言う物は現在では非常に偏りが強い、癖の強いおかしな物が何故か跋扈している。

科学技術の発展のおかげで良い事も新しい事も発見できて良い側面、反面では失っている物があると言う事象を認識しなくてはならない。