あるあり日記

個人的な感覚・感想

自然災害などの有事に対する支援の在り方

日本では戦争は今の所起こって無いが、こと自然災害では毎年のように大小問わず起こっている地形的な不安定な環境下にあります。

今回この記事について触れようとした背景においては、東ルーシで起きている戦争に対する支援の在り方について議論が行われており、やや歪んだ解説や意見などが展開されている為に個人的に一般的な災害支援に対する流れみたいな物を福祉従事者であり災害時における支援の一部統括団体の経験から見ていきたいと思います。

一般的な自然災害が起きた際に厄介なのがマスコミによる誤った報道過熱が起き、災害が落ち着いてないにも関わらず被災害以外(救援救助組織以外)の正義感ある人々が直ぐに行動を始める事で、被災地のまず自治体の情報収集と経過状態などの把握ができておらず、インフラなどを始めとして壊滅状態にある中に支援物資や支援金・義援金などを送り始める事態が起こります。

まず初めに一部の被災地自治体(市区町村)を中心とした機関や団体が機能を回復し、ある程度の被災情報や何処から復旧させていくかと言う検討をする組織を立ち上げ、その組織が機能を始めてから都道府県・国へと情報が共有される。

と同時に必要な物資や災害義援金、ボランティア団体の受付が始まり、ここからが本来の一般の人々における支援開始と言う流れとなります。

自治体を始めとして救急や救命活動がままならない状態では何を送ろうと一般の人々が行う事は返って体制立て直しの阻害や後になってから支援物資が余ったり、利用できない状態になってしまっても仕方がない状態になります。

よく後になっていち早く支援をしたにもかかわらず、上手く活用されなくて問題となっている事態があるがこれは時期が悪かっただけの可能性が非常に高いと言えます。

今回の東ルーシにおける戦争被害での支援事例の一つである千羽鶴問題が起こりました。

これはマスコミや有識者インフルエンサーなどが誤った解釈と災害における復興の一般的な仕組みや流れと言う物を実に知らないんだなぁと実感しました。

千羽鶴に関しては近年では原爆に対する被害の非難の象徴であり、反戦争・反核兵器などを政治面で表しています。

一般的には病人の人に対する回復を祈る(願う)と言った様なイメージが強いが、この千羽鶴は今回の被災地へは直接的には送る事では無く、在日ウクライナ大使館へ障がい者就労施設が送ると言う非常に強い反戦の政治的なメッセージ(原発を落とされた日本だからこそ意義がある)と同時に被害にあわれている人々への間接的な慰撫を表している物であり、これに対して批判している人や無意味だと言っている人は被災地への直接的な支援活動の中身を全く理解していない不愉快な人々だと個人的には憤りを感じる事案と思った次第です。

この誤った千羽鶴問題の経緯を見つつやはり誤解や語弊を生じさせる事例であり、今後の支援の在り方について一般の人々の誤った思考や偏見が出てくるきらいがあったので、説明下手な自身のブログでもそろそろ放っておけない状態だと思い書き記しました。