あるあり日記

個人的な感覚・感想

時代遅れになっている法律は旧世代の立法手法を変えたがらない

本来であれば時代と共にやや遅れようが一部検証や実証などの試みを行い、一部改正や新しい物、その物自体を丸ごと変えるなどやり方は様々であるが、立法機関では旧石器時代やそれらの遺物などが蔓延っているままであり、企業で言う所の時代に合った物や新たなるものの開発や企画・検証などを推進していくと言う手法が政治の世界では全くと言っていい程に根本的な変化を嫌う傾向が強い。

ただ新たなる法整備などを提言したり、主張はすれどもその立法の組織においては身の丈に合わない人々がいるのも事実ではある。

身の丈に合わないどころか肩書理論による行為をあからさまに行うと言う何とも周辺への警戒意識の薄さやマスコミによる既存利害関係などにより、ふるい落とされてしまう事も多々現在では多い傾向もある。

行政機関でもそうであるが権威を保ちつつも公共性・公益性・公平性も保ち、かつ慎重で丁寧な行動をすると言う人も減少しつつあると言うのが立法機関と同様の傾向が高い。

日本における三権分立がなされているが、どの機関においても旧時代の手法が継続され、時代にも合わないかと言って肩書や名前だけで一部おかしな人々が中には出て更におかしな言動をすると言う状況も廃れていると言うほかない。

急激な改革は推進しないが、慎重に実験や検証などを繰り返し時代に即した法改正をしていかなければ、日本においては世界的な先進国で見ても法律や制度に関しては全般的に後れを取っているように思える。

その遅れにより経済的にもおかしくなってしまったと言うのは目に見えて明らかなる事実でもある。

時代遅れの制度にお門違いな立法機関、物言う株主ならぬ物言う国民が増えたのも良いとは思えない。

一時期自民党時代から民主党時代へ期待を込めて変わった時期があったが、散々たる有様でありまた自民党へと回帰してしまった歴史的な事実をもう少し考えていかないと理想だけを掲げた肩書と利権だけが欲しい者が政治を担う事は困難であり、旧石器時代の政治家が何時までもバトンを渡せないと言う現象は変わらない。