あるあり日記

個人的な感覚・感想

民主主義国家において信仰の自由がある為に、政教分離を実現する事は不可能である

民主主義時代でなくとも古くから宗教団体における政治への関与と言う物は歴史的においても様々な現象が起こっている。

古く歴史があり様々な事象を経ても尚継続している宗教と、それらの解釈などを変えたり新たなる考えを元に作られてきた新興宗教では歴史的な次元が異なり、特殊な宗教でも時限的な物であったり、ある一定期間において流行る現象も起きているが、信仰の自由が保障されており反社会的で国家において脅威ともなれば少なくとも日本では事象における度合いにより淘汰されてきた経緯もある。

ただ現在ではとある大事件を起こした新興宗教以外では、様々な脅威がもたらされているも国家転覆までは至らない事から監視程度で収まっているので、ある程度の規模を誇る新興宗教団体でもほぼ例外な事象やそれらの被害件数が加増しない限りにおいては淘汰されにくく、また民主主義における選挙にも影響を及ぼすと言うのは信仰の自由と宗教団体の非課税がある限り、司法・立法・行政においては多分に関与できる事となる。

更に既存の古くからある宗教においては逆に存続の危機ともなる様な事態になると言う時代の移り変わり、変遷期、黎明期、低迷期とも言われる始末である。

えてして何かしらの迷いや精神的な不安定な時期においてこうした信仰と言う物は発芽しやすく捕らえられ易く、捕食対象(詐欺同様)となりやすい。

人々にはそれぞれの事情があり、何をもって正解と言う事は無い。

今では特に心(心身)の鍛錬みたいな物、育成していくものが非常に少ない傾向にあると個人的には感じている。

あったとしても与える側も受ける側も適切でない事の方が多くは無くとも極端に偏り過ぎている傾向が見られる。

話は逸れたが、政教分離の観点からしてこうした理想的な思想は社会においては不条理にまでに逸れており、関わりたくなくとも間接的にでも関わらざるを得ないと言う民主主義の数の会得手法と言う状態を変えるのは現実として困難であると言うのが事実である。