あるあり日記

個人的な感覚・感想

過去の歴史を振り返ってもまともではなかった

最近では歴史の教科書でも後に記述されてきそうな事象が起こっている。

自然災害は勿論の事、戦争、重大な事件など経年してから子どもや学生などへどう示されていくのかが個人的には気になる点ではある。

何かしらの重大な事象を経験・体験している世代では人それぞれで体感が異なり、また経緯も相違があり、また学者がどうそれらをまとめて適切に残せるかが歴史を振り返ってもそれぞれの国々の事情にもよるし、時代の風潮にも影響される。

経験や体験をしている世代では生々しく後世へ伝える事も出来るが、そうした人々が減少したり、いなくなった時代では残された記述や口伝みたいなものでしか伝わらず、科学技術が発達するにつれて感覚が変化しおかしな展開がなされる事がある。

これらは過去の歴史についても同様の事であり、今話題となっている信教の自由に対する考え方や宗教団体に対しての宗教的な範囲での活動収入と経費などは非課税であると言う問題点すら浮き上がっている。

宗教に関して言えば歴史の教科書を顧みればどれだけ政治に関与してきたのかは日本においても世界においても明白である。

時には利用され時には国をも巻き込む争いを起こしたり、時には糾弾され、時にはとんでもない新興宗教が出てきたりなど昔からある現象である。

人間は文明と科学技術の発達により洗練されていくかと思いきや、どちらかと言えば昔と変わらず同じような事を繰り返している。

情報が伝わりにくかった時代でも情報が溢れんばかりに伝わりやすい時代でもこれらの現象は変化せず、過ちすら形を変えて問題を繰り返しているだけである。

宗教団体に関しての非課税と言う制度も宗教的な活動の範囲のみであり、普遍的な事業や商用等においては課税がなされている筈である。

元々は寺社を存続させていく為のある意味で救済的な措置であり、昔みたいな寄進や権威で寺社を建てたり、作り替えたりするような事は現在ではごく限られてはいる。

そこで登場したのが新たな新興宗教団体であり、有名人で言う所のグッズなどの販売に近い用法で過大な収益を得たり、物すら無い儀式みたいなもので莫大な利益を得るなど、典型的な心理手法を用いた詐欺集団と同様の事象と問題が起きたり、時にはとんでもない事件すら起こしてしまうと言うどうしようもない事態です。

新興宗教ではなくとも既存の宗派で坊主が葬儀でお布施の相場を言い値で伝えたり、権威付けでの戒名の位を上げる為にお金で格付けをしたり、新たな建造物を作る為に檀家へ寄進を迫るなど、現行の宗派でもとんでもない事が当たり前のように通っているのも疑問に感じます。

個人的な話ですが、自身の家では仏教ではなく神徒なので仏教よりも格段に相場がお手頃で、特に特別な寄進など無い為に余分な出費が無いのが良かったと思っています。

神徒とは言えども個人的には信心は自身のご先祖としか思ってないので、神様などと言うたわけた話はどうでもいい訳です。

話は変わり、亡くなった某首相の国葬の議論も様々な展開がなされているも、定義により決まったものは変えられず、どこまで政府がどう表現するかであり、税金の無駄遣いと著名活動など行っても開催はされ、国際的に要人が来日するわけですので日本の外交をどこまで上手く行えるかが問われる場となる事になります。