あるあり日記

個人的な感覚・感想

介護・医療におけるテクノロジー活用について

現在では多くの産業においてテクノロジーの恩恵による生産性や効率性の向上が見られる。

ただそれらの多くはその活用されている世代間の話であって、その技術に触れてない、利用していないなどの世代に対してはイメージの乖離が生じる。

どれだけ技術が発展しようとも、マンパワーと言う物は少なかれども亡くならないと言う現実ではあるが多くの人々は技術によりほぼ全ての日常生活などが行われているかの如く感覚的に捉えがちである。

これを依存や価値観の偏りが生じて、あたかもロボットやコンピューターに任せれば安泰と言う状況下に傾いている。

物においても対人においても人間がほとんど手を入れた事柄とそうでない事柄では、今では失われつつある大事な人間味という感覚体験を会得する事は困難な時代とも言える。

それらの弊害として、極端な多様性と言う表現の元で法律やルール・マナーなどが変化しつつも多岐にわたり過ぎて制度や整備などが追い付いていかないと言う状況下が現れる。

何も人手不足は介護や医療だけではなく様々な産業においてもまばらではあるが、テクノロジー活用も全体的には行き届いていない状態にあり、やはりマンパワーによる活用は必要不可欠である。

また介護や医療においては特に分かりやすいが、対人関係における措置が必要な分野では、テクノロジー活用が促されるもそれらを知らない、活用できない、或いは現実的ではなく人間味を感じさせない様な感覚になる世代が多く利用されている。

こうした世代では多くの措置なりが人を介する事が当たり前であると思っている、そうやって人生を歩んできた世代である為に、現役世代との価値観の乖離が生じて誤解や問題、争い、禍根などが起きて、家庭でなくとも信頼関係の構築が困難でサービスすら受け入れられない様な過ちが問題として起こる。

現役世代の人々も時代を経て新たなる技術がもたらされた時に、自身が納得できないサービスや言動などされた時には当然の事ながら同じ現象が起きるのは火を見るより明らかである。

悲しいかな当たり前である価値観の世代やそれ以上の新たなる技術に触れる世代との乖離は年齢を重ねれば重ねる程に歩んできた時代の相違で本人に重くその乖離がのしかかる。

これが介護や医療でなくとも他の産業においても感覚や価値観の相違が生じて残念ながら一つの分野で学んだり、経験を積んだり、関係各所との信頼関係の構築が消失しつつあり、何故か訳の分からない様な有名人が突如として表れ、世論を動かすと言う現象も今の時代だからこその事象であると考える。

物であろうと人であろうともある程度次元は異なれど、人間味のある物が感じられる事が一番大切ではなかろうかと感じる現在です。