あるあり日記

個人的な感覚・感想

薄らぐ日本の国葬と比較批評が入り混じる

特定の宗教団体との関係においての問題、故元首相の国葬の問題、新たに英国では女王の崩御により国葬が執り行われる事による日本でこの後執り行われる故本首相の国葬と言う名の外交交渉の場を作り、今後の関係性などの政治的な進展を生み出す事が困難になってしまった今日では経費はともかくとして効果は薄らいでいる状態には間違いないタイミングとなっている。

英国における女王の崩御に伴う国葬では多くの国家元首だけではなく国の歴史的象徴に近い天皇を始めとする国王なども参列する事で少なくとも外交的な手段による政治の進捗は日本ではなく舞台は英国となる。

そもそもこの事象における比較対象やそれに伴う世界的経済的・物流問題でも比較や切り分けないで混ぜて批評が行われている為に、個別に切り分けて分類して問題可決をしていかないとおかしな方向にもなり、マスコミやメディア、著名人などが放送や言動により暗躍し、国民を更に混乱させるきらいが生じている。

切り分けが困難でありごちゃ混ぜ状態の思考では人は更なる偏見・バイアス・偏りが自然に生ずる生き物であるので、右翼・左翼・リベラルではないが同じような考えの集団形成がなされ、宗教で無いにしろある種の凝り固まったある団体があちらこちらに出来てしまい、また残念な事にそれらを良くも悪くも利用すると言う人々が出てくるので更なる異常な雰囲気になり、必然的に自身で情報整理して判断するのではなく目にする事が多い情報でのみ当たり前と言う状況下に置かれるので、またとんでもない偏見や批判論評などが繰り広げられたり、放送されたりする。

現在では見出しのフレーズによるある種の集客手法が典型的な状態であるも、適切な検索をしないと情報検索におけるアルゴリズムも個人的な感覚ではあるが、本来欲しい情報が一般検索システムを利用すると上がってこない事がかなり前から認知しているので、普遍的な検索システムはだいぶ前から利用をしていません。

今回の件では外交における国際関係の改善の場を政治的に作り出すはずではあったが、各国の元首などが日本の国葬へは参列すると言う見込みが見事に外れ、折しも英国女王の崩御により更に日本が思う程に海外は冷静に事を見ている状況であると言うのが露呈したのである。

以前にも触れた宗教に関しての話も集団形成における過程においてある種の必要性があるものの一部がこれにあたり、国や法律・ルール・マナー・モラル・道徳形成も同様であり、それ以外ではお金と言う貨幣や紙幣などによる対価も集団をまとめる・日常生活を送れると言う手法においては基本の部分であり、後はどの様に運用なり利用するなりは個別の規律に従い個々人で行えばよいだけの話。

個人的な見解にはなるが、本来宗教と言う物は人間の本質・性質が分析され、人が普遍的な生活を送れる事が前提であり、道徳・モラル・マナーなどを説く事が宗教たる本質であると考える。

学校における学問や学習とはまた異なる。

だがお金と言う束縛が資本主義により形成されていったので、宗教でも残していくには商業的な行いはせざるを得ないと言うのは事実ではある。

文明の発達により対価や価値観の偏りが生ずるが、基礎的な部分は同様であり、運用や使用方法においてはそれぞれで相違が出るのは致し方なく、時には問題になり、時には事件や事故になり、時には自然災害や紛争・戦争などの被害が起こり、また政治的な要因も嫌でも絡んでくると言うのは国と言う組織がある限りでは国々での問題までにも関与・影響する事態になるのも仕方がない事象ではある。