あるあり日記

個人的な感覚・感想

平等や自由に対する保障により返って問題が生ずる

現在社会ではSDGsや信教の自由、男女雇用機会均等法など格差社会を解消するべく制度設定などが法律・規制・義務など非常に曖昧な定義によって専門家や有識者でなくとも一般の人々や団体などにおいて個別の価値観や考え方、思想などが打ち出されたり、問題化したり、議論されている、検討中など更に曖昧な状況下にあり、何をもって是非とするかと言う本質から論点などをずらしたりして更にメディアなどにおいては極端な映像や表現・意見などを報ずる事で、返って混乱・混沌とする有様となっていると考えます。

日本では他国とかなり異なり、戦後制定させられた法律自体を極端に変えると言う発想は持っていても、まがいなりにも民主主義の議会制であり、他国よりも自国内での特殊な信念や思想を良くも悪くも排除する傾向にあり、清廉潔白である事が正義であると言う概念を植え付けられ、また性善説に基づく倫理観がある為に極端な刑罰が行えず、更生させて社会復帰を目指すと言う構造になっているも、多くは道徳や倫理、生理的な事情で更生したであろう人々も受け入れず、また事件などの問題が多発するなどのサイクルに何度も被害を受けた人々は納得いく制度にはなっていないので、普遍的な人間でも安易に道を外れてしまうと言う傾向も現在では不正や詐欺などを代表とする事件が多発しやすい構造ともなっています。

一方で平等や自由など打ち出すも、実は徐々にこれらの弊害が様々な日常生活や社会活動において主に商用的な利用目的が多いが、法律でなくとも条令や解釈などにより規制や義務化され習慣化されるので非常に可逆的に窮屈な世界が蔓延している状態になってしまいました。

自然において人間単体での生活活動は他の動植物に比べ知的には高いも、単体での耐性や生き抜く力は元々はある程度持っていたであろうが、非常に弱い立ち位置にある事を認識している人は少ないと思います。

動物においては人間同様に集団生活を主体とした方が個の力よりも強い事は必然と備わっており、阻害・強い生物に対して集団でもって対抗していく手法は人間も変わらず、人々は更にテクノロジー発達で優位性があるのみで、優位性があるにもかかわらず何故か集団生活を営み慣れると弱くなると言う動物と相反した歴史を歩んできています。

自然に対してあらゆる技術をもって抵抗するもいとも簡単にその脅威を見事なまでに被ると言うのはこれも過去から結局の所弊害は変わっていないものです。

文明や文化が発達しようが、自然の驚異にはほぼ無力に近い事は毎年起きている事例です。

また以前にも似たような話をしたが、テクノロジーの発展により人間本来の耐性や心身能力の低下と言う物は年を追うごとに低下していると言うのが実情と考えています。

また生活が安定して行けば行くほどに道徳や倫理観に対する疑問などの壁へとぶつかる為に頭だけで・思考だけで解決しようとする傾向も現代病の一つと言えると思います。

何れは依存と言う状態となり、テクノロジー無くしては生きていけないと言う未来感が自身には感じざるを得ない事が既に問題でもあります。