あるあり日記

個人的な感覚・感想

雑談

先回はまた時間についてまとまらないプログを書きました。

今回もまとまらない自身の妄想・憶測などを書いていきますので、まともに読まないで下さい。

さて、よくSF映画などでドッペルゲンガーや人工で自身の複製みたいなロボット・アンドロイドや培養してもう一人の自身を生み出したり、何かしらの理由で自身の大半を機械化したり身体などを入れ替えたりするようなしないような話が出て来ます。

医療や技術の進歩によりこれらのごくごく一部の事象については今では現実のものともなっていたり、これからごく一部の事例などが発生したり、新たに研究され進められていくものもあります。

ただ映画などの世界では拡大解釈が激しく、ごくごく一部の事例を大きくし過ぎて出現させていて可能と不可能がごっちゃになってしまいます。

フィクションの話では面白おかしく、想像妄想に興奮する事で楽しめるように作られるのでこのまま現実的な世界に持ってくる事はやや難しいのもある。

科学の発展・進歩は時を追うごとに確実な物ともなるように思えるが、それこそ時には今までの価値観・固定概念などが覆されたり、逆に夢が打ち砕かれたりすると言う事もあって残念に感じる結果にもなる。

人によってはあやふやで解らないままの方がいいと思われるのもあるかもしれない。

さて話を戻し、SF・フィクションの世界観の一部である複製事例を考えてみたい。

前に人工知能と深層学習による会話の話で、人間の未完全な機能・性質のおかげで様々な感性や感情が生まれ、コンピューターにはおよそ及ばない多種多様な生物となっているので、簡易な会話や機械的な会話は出来ても心通わすような会話の成立は見込めないと思うと書いたような書いて無いような話題を取り扱いました。

これらの事例は決して会話だけの話ではなく、仮に完全とも言える様な複製品やほぼ機械の様な体となると言う話が可能として進めても、これは先にも述べた話題に個人的には通じると思っており、科学で言う同性質・同機能・同構造(組成)などであろうとも元の身体であったりとか、元々のその人物の本来の経過を見る事は不可能だと感じる。

その時に取り扱うであろう情報と言う性質も今度また妄想を巡らせたいが、情報がなんであるかと言う事も重要である。

特に移植などではなく、自身と同じ性質などを持つ生物を別に作り出そうともこれは同じであって同じではない。

複製を作った時点で如何なる情報を持とうともその複製品は完成の時が所謂人間で言う誕生であって、経過と共に個体差が生まれる結果となる。

そのオリジナルである元の生体を継ぎ、永遠の命みたいな考えは殊更におかしく、人々が想いを描くような物ではない。