あるあり日記

個人的な感覚・感想

ワクチン接種を急ぎ過ぎたのか?

何事にも時間の経過と共に、言い方を悪くすれば被害者・被験者が多くなれば多い程に問題が発生し科学と言う物が発達、改良されていくと言う事象は逃れられない宿命にあります。

日本のワクチンに対する接種率が比較的低迷している中での他国における変異株の発生と早い段階でもって開発したワクチンに出の影響と言う物の問題性について表面化されてきています。

当り前と言えば当り前ですが、先進国が金や国力に物を言わせ優先的に接種が進行すればする程に、新興国や遅れている国などでは接種が限定的であり、本来優先すべき順序と過程を間違えてしまったと言う現状を知らなければなりません。

ファイザー製や某モデルナ製においても例外ではなく、漏れなくこれらに該当する事例が明らかになってきています。

物事には順序があり、安全性などを治験などを幾度となく踏まえ時間をかけて完成させると言う物が当然であり、これを無視した結果が現在です。

薬剤には許可が下りる時間が掛かる事で有名ですが、当たり前ですよね。

現在では医薬品は当然ですが、医薬部外品特定保健用食品・機能性表示食品・栄養機能食品(サプリメント)と言われる物が誤認を生じさせている事もあり、これが効くと一人でも言おうモノならばドカンと信じてしまうと言う風潮が非常に顕著に表れて、このなれの果てが、自然の野菜などを摂取せず、効能が不確か且つ人により異なるなど混迷しています。

酷いと摂取するものではなくオカルトや非現実的な霊感商法や石ころなどの物に頼ってしまうと言う人々も絶えません。

これらを踏まえた結果が現在のコロナ騒動の主要因の一つにも表れていると言う、とんちんかんな事になっている所です。

既存の認可されている医薬品や治療薬ですら万能ではなく、10万分の1とか100分の1とかで副作用が起きたり、効果が認められないと言う事例は腐るほどあります。

歴史的に日本では疫病などの経験がありながらも何故か治療薬・治療方法などの開発に対する研究が疎かになりがちです。

これは医療だけに限りません。

 

自粛・規制下において育成された子どもや学生の今後

コロナ騒動が継続し、昨年・今年と成長期の子どもや学生などは極端な話をすれば戦時中・戦後などの状況下とやや傾向として似ている様で似ていないような感じかと思います。

残念ながら最短で来年中あたりまでやや緩和されるものの同様の状況下にあり、暫くはまともな育成環境にありつけない、いや新たな育成環境の開発による弊害と言う物が今後の社会に大いに影響を与える事は間違いありません。

そうした大きな特異な状況下で成長していった人々は極端な人間になりやすい傾向があり、場合によっては吉、最悪で大凶と言った形で日本社会を革新するどころか、おかしな方向へと導き、国内での紛争みたいなものが起きやすい状況となります。

生まれながらにして偏った環境で育った人にとって他国などから見て、何故そこまで信仰しているとか、何故にそこまでこだわるのかが異なり、日本においては特に地理的な面もあって、本来まとまらなくてはならない事がまとまらないと言う事が起き、先進国どころか後進国、新たな新興国の立場迄衰退していくのが目に見える今後を思うと、何とも世知辛いものがあります。

当然の事ながら過去には戻れませんので(皆が思うようなタイムマシーンなどあり得ない)、起きてしまった事柄は覆す事、取り戻す事は非常に困難です。

そうした子どもや学生などが時代を動かす時が来た時が末恐ろしい感じです。

子どもや学生でなくとも、既に大人であってもこんな状態ですので、真っ当に生きる事などほぼ無いと言うか、ごく少数であると言うのが現状と言えます。

諸外国では殆どの国が日本人に対して礼儀正しい、律儀である、安全であると言う印象が強い中で、この先進国と言う無力な名前のみが独り歩きをしていると言う、非常に残念な所で、真っ当なと言うか健全な利益追求がなされていない事が国内から見ても感じざるを得ません。

欧米などの革新的な文化や技術を日本風に改良し、日本ならではの風潮や文化はある時期を境に亡くなっていく事でしょう。

現在の団塊の世代などは高度成長期に良い思いをし過ぎましたね。浮かれすぎです。

医療・介護・保育など人員体制についての誤解 その2

何時もながらに思い付きでいい加減なブログを書き続けています。

今回は以前に取り上げた医療・介護・保育・学生に対する人員規定みたいなものと、それに対する対価について軽く介護福祉分野に触れました。

この人員体制における国の規定がそれぞれの分野であり、それはあくまで最低人員配置ラインと言う事を前提として先ずは考える必要があります。

と言うのも最低ラインですから本来であればそれ以上の人員配置が職務を遂行するにあたり受ける側に対しても質がギリギリ(質を維持できていない事もある)と言う事で、質の向上などを目指すのであれば多ければ多い程にいい訳です。

ところが、以前と同じ介護保険で例えた場合には国保からの介護保険報酬が介護度などにより決まっており、普通にやると言う事は介護従事者に対する対価を下げなくては維持する事は出来ない仕組みとなっています。

これは医療に対しても同様で、診察報酬(公と民で異なる)・検査報酬・処方箋報酬など決まっており、通常の体系ではまず介護保険よりはマシだが医療従事者に対する対価が問題となります。

公的な病院では公務員で医療職と言う等級により一般の公務員(事務職)よりはやや高いものの、経年と立場により微弱に上がっていく仕組みであるが為に、医療従事者においても職務における対価としては不十分な事により、開業医が新たに自身の患者をごっそり持って行き民間病院として等級に縛られない対価を求めて出ていくと言うざっくりとした仕組みです。

かと言って民間の開業医だから儲けている訳ではありません。

現在のコロナ騒動により、二類縛りがある限り簡単には民間の掛かりつけ医へと受診し、医療に精通していない保健所を通し、大病院(設備が整っている)へと送るシステムが当たり前では、一部の善意ある民間病院は赤字まっしぐらとなります。

国が今回依然果たせなかった医療に対する助成金を利用すると言った話がありますが、果たして可能かと言うのが正直なところです。

そして重要なのが医療では介護とはだいぶ異なり破格と言える設備経費が必要です。

MRI・CT・治療器具など皆が思っている以上に値段が高額で、自身も介護現場の時代に驚いたのが、吸引するカテーテルの径7mm(細い管)を注文する際にとても高額であった事が一番初めのきっかけです。

こんな経費と言うか設備投資がなされていれば元を取り戻すだけでも安易では無いと感じています。

公的な医療機関では対価の割に重労働をさせられていると言うのが事実です。

話は逸れますが公務員は国と地方自治体で分け、一般事務・技能職・医療職などで等級・号でそれぞれ給料が決まっており、民間のように簡単に給料をバンと上げれるシステムではありませんし、有能な人材であるが経年等により無能の長年勤めた人の方が高い給与である場合が出てしまう訳です。

その代わり予算による対価と経費などが予め決められている事により、予定外の算出は余り無いと言うのが現状です。

だから国・都道府県・自治体による箱物というのは錆びれていく事になる訳です。

これのある意味代表の一例が、保育・学生と言う事例です。

民間の幼稚園では収入が多いのである程度の維持操作が出来ますが、公務員である保育所などは先ほどの給与システムによりさほど対価は多くありません。

だから民間の保育園による事件が問題化したのはこれが原因であったわけですね。

また学校でも特に自身が感じたのが大学時代です。

私立(儲けている所)の大学と効率の大学とでは見た目の差が激しすぎます。

国が定めた既定の料金システムを取り入れている限り、人件費コストを下げる(最低限に抑える)と言うのが報われない職業であります。

余り詳細を書くと自身もどういう立場か分かってしまうかもしれませんので、しっかりした文章は記述しません。