あるあり日記

個人的な感覚・感想

自給自足を妨げるのは農水省による組合設立と民間法人を作らせない事である

身近な食料品における持続可能で自給自足と言う食生活を主に妨げている事が既に既得権益ならぬ、農業協同組合森林組合・漁業組合などの半官半民組織の成立により、個の農家・畜産家・漁業・林業などにおいて間接的にかかわる事で物価の価格維持と産出量の規制をする事が当たり前となり、本来あるべき民間業者・法人が直接的に携わる事が出来ない状態にある。

例えば、米・野菜などは産地直送と言われているのは良いが、農家なりが組合組織と規制により法人格を持つ事が出来ず、間接的なコストによる市場への高騰と生産者への引き取り価格の抑制、生産量が過多になると価格下落を下げるようにするために廃棄すると言った事例がある。

畜産業での乳牛における生産量とその用途(加工牛乳・バター・チーズ・乳製品)に対してそれぞれ製造量があらかじめ決められている事が大きな要因であり、本来ならば多く原材料の牛乳が採れたとしても、これまた規制があり多ければ廃棄と言った処分がなされる。

これらは市場或いは小売店に至るまでに価格下落などを防ぐ為、主に組合への利益が優先と言う習慣と規制により、原価が低く各原材料の産業が生活の主としての収入源とならない事で専業を増やさない傾向を生み出している。

本来組合に属している属していなかろう(個人菜園・小規模生産)とも、公には自給自足できないと見られがちであるが、現実には日本では十二分に原材料は足りていると言う現実が存在しています。

更に例えで、米農家出荷価格平均13000円/俵あたりで市場或いは小売店・スーパーなどではその2倍超から3倍までの販売価格となる。

これはブランド米でない場合ですらこうなります。

この差額のコストは産地直送→市場・小売店であればここまでならず、組合を通す事により可笑しな現象が生じています。

外国産が安いと言われるが流通量を規制している限りでは国内にどれだけ多く農林水業原産地があろうとも、価格破綻を起こす事で海外製品が安く感じる傾向にあります。

現実はこの限りではありませんが、少なくとも農林水産業においては規制や基準などを除けば時速は十分に実は足りている現実を見させないと言う傾向が可笑しいと昔から思っていました。

食べ物の供給余りで廃棄 フードロスを無くす新たな開発が返ってフードロスを増やす

近年食べ物の多様化により加工される過程で本来は廃棄されるはずであった原材料の余りを利用した新たなる食べ物を開発する事でフードロスを無くすと言った記事が出ていました。

これは根本からのフードロス事象であるそもそもの問題自体の捉え方が間違っている事により、かなりの誤解的な印象を与えるものと考えます。

自身が見た記事によれば、抹茶を製造する過程で捨てる筈であった茶葉の出がらしを新たに他の食物と加工利用する事で新たなる廃棄問題への解決へと繋がると言った言い回しでもって記載されていました。

しかしながら多くの食べ物による食料の廃棄問題の根本的な原因は、食べ物の商品自体の多様化と供給過多による賞味期限或いは消費期限を迎えてしまうが為に廃棄されると言う問題で、それらを少なくすると言った取り組みの事をフードロスと言われる事であり、そうした廃棄されてしまう食べ物を少なくしようと言う行為がこれに該当する事項であると考えます。

加工や製造過程でもって元々原材料などの本来利用しないで廃棄する物を新たな食べ物として利用する事は、ただ単に新たな商品を開発しているだけに過ぎず、元来の賞味期限や消費期限でもって廃棄されている物についての問題そのものとは論点がズレており、更に言えば新たな食べ物の開発によりまた更なるフードロスが返って増えてしまうと言う非常に頓珍漢な考え方を表示している記事でした。

元々製造などにおける過程で廃棄するもの自体が問題ではなく供給過多による食べ物の余りと賞味期限や消費期限を迎えてしまい廃棄に至ると言った事が本来の問題点であり、結局の所フードロスと言うパワーワードを利用したただ単なる新たな商品の開発と言う事を記事にして、あたかも原材料の不要部分の廃棄を減らすだけで既に弁当などの食べ物として商品とされているものの廃棄についての解決には至っていないので、かなりマスコミが印象操作や勘違いをしている事が想像できます。

コンビニなどを筆頭に24時間営業と言う強力な何時でも食べ物などを購入できる状態が当たり前である現在では、こうした根本であるフードロスを抑える事は非常に困難であり、かと言ってケチって商品の品ぞろえが限定的であれば顧客も選択すると言う事が出来ない状況となり、比較的に豊富である状態を店舗側が維持すると言う傾向があるので、いくら賞味期限の延長がなされた現在であってもそうした加工された食べ物についての廃棄問題はどちらかと言えば商品の多様性が多くなれば多くなるほどに廃棄自体が増えていってしまうと言った現象が起こっています。

これは何も食べ物だけではなくそれ以外の消耗品や日用生活用品或いは家電等においても食べ物ほどではない物の早期買い替えや入れ替えなどにより、過剰な資源の利用と過剰で早期の廃棄等によりロスが起きていると言った事もあります。

また現在では短期間での新商品開発や上位交換商品などの進展が早いのと、劣化や早期不良による交換などがあり、かつてのように長期間一つの物を利用すると言った考え方と言うか習慣は一部を除いては無くなってきている傾向が人間の生活習慣ともなり、様々な資源の過剰な利用が深刻化していると言う事も同様な状態です。

フードロスに限らず持続可能なと言うSGTsにも以前触れましたが、新たなる考え方により実は持続可能或いは再生可能と言った側面だけが取り上げられ、実はリサイクルやごみ処理の過多は偏っている現状が潜んでいる罠とも言えますし、問題点の議論のすり替えともとれる行為が平然と行われていると言う風習が偏った考え方を生んでいる気がします。

SDGs推進から見る問題について

現在では格差・環境・再エネなどの問題をひっくるめたSDGsなるものが世界的に推進されてそれぞれの問題点についての改善などに取り組む傾向が強く見られる。

個人的な話として結論から言えば、利権の移動・環境破壊問題点の移転・個人主義への偏向思考などと逆行したように捉えています。

その最たるものはレジ袋の有料化と太陽光発電である。

レジ袋による有料化で新たな利権構造の推進、太陽光パネル事業の推進でこれまた新たな利権構造と既存の大手異種業の介入での更なる推進により、再生可能エネルギーに対する電気料金の上乗せが発生、一方で太陽光発電に対する耐用年数が経年劣化だけで見られており、自然災害などによる破損により有害物質を含む危険な埋め立てゴミの発生の問題(自然環境汚染)が考慮されていない。

日本では多湿で食物などはプラスチック製の用品でもって梱包しなければならないと言う自然環境下であり、かつ衛生管理を維持・徹底できているであろう事も現実である。

不思議なのが元々は多湿であったにもかかわらず紙媒体での梱包がなされていた食品では、わざわざポリ袋やビニール袋などに変化しているのも不思議で仕方がない。

また、コンビニなど加工食品(弁当・惣菜)では相も変わらず便利なプラスチックが使用されている現実で、ストローやスプーン・フォークなどが竹や木材などへの変化が起こり、原材料は国内ではなく安価な海外材木であったりもする訳で、何にも国内において自給自足されておらず、多くの価値の下がった山々では植林により杉や桧といった自然以外の木材が多くなりすぎ、更にて入れも行われず打ち捨ててあるような始末で台風などの自然災害時にはこれらが倒木・土砂災害などを起こし停電や道路の通行止め、倒木による建物への被害などが起こる始末。

個人主義志向により核家族化が進み、格差の移動と対人関係での希薄化・コミュニティーの仮想現実化が起き、更に家族の崩壊を招く結果が起きていると言うおかしな状況になってきています。

世界的な風潮であっても、それぞれの地域・国々での環境や風習・文化などは異なっている事により平等化・均等化・持続化などはおいそれ出来る筈もないと言うのが個人的な感想であり、このSDGsに対しても肯定できる部分の方が正直少ないと言うか考え方・捉え方の相違と言うかそんな感じです。