あるあり日記

個人的な感覚・感想

後進国になってしまった日本の課題

高度経済成長からバブル期まで日本では先進国へと飛躍したものの、その技術を更なる高みへと追求することなく胡坐をかいてしまった。

その結果として、国や企業において研究開発分野では既存の技術を多少いじる程度にしかせずに、多くの技術者や研究者などを埋もれさせたり、海外へ流出してしまい、更に高利多売の既存のブランドから抜け出せず、新興国などを発達してしまったと言う経緯がある。

またこれには海外での安価な雇用コストに目がくらみ、原産地での一時生産工場などを展開したしまったと言う事による技術の流出や、現地での経済成長を助長させたり、識字能力の助成などを行う事で一気に日本が追い抜かれてしまったと言う要因もあります。

戦後日本国内での復興を何とか遂げ、日本人が海外へ留学などして新たな技術を会得し持ち帰り、その技術を更に高め改良し、良質な製品などの開発が発達した事と全く同じ傾向を新興国に与えてしまいました。

いまから経済的にも技術的にも日本が先進国の先端を行くと言うのはかなりの困難であり、基礎基本からじっくり研究開発とそれらを支える人材育成と環境を整える必要があります。

これは今から国や企業などが今から投資した所でそんなに簡単には短期間では結果は残念ながら出て来ません。

が、そうした環境づくりなどを後押ししていくと言う事は未来への投資となり、必ず日本が先進国たる国へと戻る要因となります。

かなりの長期的な時間が必要となり、少なくとも自身が生きている内にその日本を見る事はまず無いでしょうが、今は耐え時の期間です。

日本では様々な部分において腐敗してしまっている所が多くなってしまい、同様に治安もあまりよくは無いと個人的には感じています。

20年~30年ではなく、50年~80年くらい先を目指しての改革です。

報道機関によるニュース記事がGoogleによる一括ネットニュースに移行しテレビは更に必要なくなる

Googleによるネットニュースの一括掲載コンテンツが各テレビ局なり新聞社なりに報道の仕方について影響を及ぼし始めている。

現在ではテレビ或いは一部ネットニュースなどによる報道が徐々にネット主流ともなりかねない状況下にある。

テレビなどではスポンサーの提供と言う縛りみたいな物がある為に、時にはそのスポンサー関連に影響を及ぼすような出来事はご法度みたいな事となり、本来であれば報道されるべきである出来事が簡単に影響ない範囲でもって放送されたり、酷いと全く触れないと言った事も多くの人が疑問に感じている点である。

そうしたスポンサーに左右されないコンテンツと言うか、Googleが一括してテレビ局(新聞社)と記事内容により一定の金額を支払う事で、総合してネットでのニュースを提供していくと言うシステムに多くのテレビ局(特に民放)なりが関心を示し、方向転換のきっかけとなる記事がありました。

これはスポンサーはあくまでテレビ局へではなくGoogleへの提供は行われるものの、報道する側(記事を提供する側)としてはしがらみにとらわれず報道が出来る為に、偏った報道の仕方への変革の一石になる可能性と、またテレビでの視聴が低下している中で、ネットなどでの報道がしやすくなると言うメリットも考えられてるので情報発信と言う面ではテレビ局からしれ見れば自社による収入の安定性からしても促進されていく事が考えられます。

恐らくはこれを機に、一気にテレビがネットに独自のプラットホームを作り、新たなコンテンツでの情報発信やバラエティー、ドラマなどテレビで放送していたあらゆる番組がネットへと移行していくチャンスでもあり、ここで後れを取ったり既得権益などに囚われていると民放などではなくなってしまう可能性すらあり得ます。

これにより、広告代理店や電通などの利権は崩壊します。

新たなる技術が発達している中でいにしえのしがらみから脱却出来た所だけが今後残っていく事で、多くある偏りから一つは縛りが消失します。

当然の事ながら視聴率などは完全に可視化できる事で一定の公平性が出来るのも大きな利点ではないかと考えます。

このGoogleによる新たなコンテンツにより良くも悪くも新時代を感じさせられる試みかと思いました。

 

池袋暴走事故の判決結果と問題点について

これを語らずして終わってはいけないと思っていましたが、ついさっき思い出しさっそくブログにあげる事にしました。

池袋暴走事故の件です。

被害者にとっては長い道のりであったと同時にこの結末と経緯に関してはやはり納得いくような状況ではなく、本来あるべき報われた結果が訪れていないと言うのが本音でしょう。

事件当初では、加害者は被害者たちの救済救命措置もせずにパニックとなり息子にラインで事故の件について報告している始末。

また、かつて技術官僚のトップにいた事もあり、その界隈では知識や経験と共に尊敬されていたと言う人物である。

それが自身のミスで起きた事故ではなく、車両の異常により起きてしまったと言う事を示してからが問題の始まりである。

仮の話としてそうであったとしても、この時点で少なくとも誠意ある謝罪と自身のミスであったと認めていれば大事にはならなかったと思われる。

現実としては自身の過失を認めずに裁判迄臨んだことで国民の怒りを買い更に、上級国民と言うレッテルを貼られ、加害者だけでなく家族までも巻き込むような世間からの非難を浴び続け、間接的に社会的に制裁を受ける経緯に至る。

裁判での判断に持ち込んだことは加害者においては本当はどうであったかと言う事は本人以外は分からず、車両のメーカー技術担当までもが駆り出され、車両のペダルの痕跡と記録データと検察による防犯カメラでの映像などでもって争う形となった。

ここに加害者は高齢と言う事と、医師から身体的な機能低下により運転は控えるように言われていたと言う事実も今回の裁判で用いられたものである。

世間では上級国民・高齢者・身体的機能の低下がみられる姿の報道などにより、猛烈な一方的な非難を浴びる形であった。

ただしかしながら、残念な事にそうした世間がバッシングした事も判決に勘案されてしまい、本来の判決よりも減刑されてしまった結果となった。

問題は更に続く、加害者は無罪を主張して臨んでいる以上、本来であれば最高裁まで行く事で本当の意味での判決が下されるはずであったが、一審の判決でもって認めてしまい、謝罪をしないと言った世間から見たら腹立たしい感じである。

ところがよく考えてみると、ここに来て謝罪した所で被害者も世間も納得できず、一部の有識者では真実が隠れたままであると言う事を考えている人々もいる。

防犯カメラはともかく、車両における記録データが果たして本当に正しいのかを証明できていない。

これは車両に記録データを搭載したものでメーカーごとと車種において、記録データがどこまで正確か、100分の1台には異常が出ると言った様な記載が今回の車両においてはいまいち統計的な事故記録データが乏しい事にある。

実は記録データにおける誤りは無いと言う前提で事が進んでいると言う訳である。

これが一般人での事故であればどうであろうか?

非常に闇が深く非常に不適格で非常にスッキリしない結末になってしまい、本来の被害者の真の救済には繋がらないと言うのが一つの考え方である。