あるあり日記

個人的な感覚・感想

日本人の弱体化と堕落をもたらした歴史的背景

都市伝説的な話としても取り上げられている様な話題ではあるが、日本では戦後においてGHQによる欧米的な価値観と本来持っていた日本人たる心身の鍛錬習慣を抑制する事により、現在までに至る77年間にわたって徐々に心身共に弱体化させられてきた経緯がある。

先回にも取り上げた世代間人間関係での縺れ、格差を生み上げさせる多様性と言う社会風土、知識だけで実体験が起こりにくい生活習慣、特にネット普及による情報の氾濫、それに伴いARやVRなど非現実的である仮想世界観を普及させ現実社会での乖離を生じさせ精神的な耐性を弱体化し新たなる犯罪の多発など、日本の強みと言う物を消失させる或いは衰退させる現象が起き続けている。

島国である小国日本が何故に戦前までは先進的で強国であったのかを知っている人は最早消失してしまっている。

知識などよりも体感や実体験による経験と言う物ほど身に染みて記憶し、それらを活かして新たなる手法を編み出す事は日本人ほど恵まれた環境と風習を持っていた国は他国ではほぼ無い。

一番は結束力・団結力と言う物を持たなくても良いような現在が一番危険な状態である。

現在典型的な症状として多いのは、精神疾患、アレルギー、基礎疾患(生活習慣病)、発達障害などであり、これはよく昔から同じようにあると言われる物もあるが現実としては日本人の弱体化がもたらした歴史的な経緯が大いにきっかけとなり長年にわたって日常生活習慣や社会をも変化させ起こるべくして起きている事象がかなりの割合で多い事に気付いている人々は少数であろう。

癖や性格がある程度大きくなってから変化しにくいと同様に、こうした現象を本来あるべき日本人へと戻す事はほぼほぼ不可能な状況下でもある為に、日本が列強に戻る事は無い。

異なる世代間での交流が上手くいかなくなったのは家族関係の変化により生じている

現在では家督や血縁関係などにある家庭環境の中に形成される・育成されるものが崩壊し、個人主義的な側面を強調する・重んじる社会になっていると思われます。

昔ながらの家族や親族などの間柄をまだかろうじて残している人々もいるものの、どちらかと言うと成人すれば社会的に個人が主体として重んじられ、成人するまでの過程においても血族間での関係性をよりよく高める、異なる世代間での関係性に対する育成や経験などが阻害されている部分があり、社会に進出してからもそうした関係性などの免疫などが育まれていない為に非常に強い個性ばかりが高まる事が当たり前として通されていくので、交流関係における偏りや価値観の相違に対する違和感が強く出てしまう傾向が異なる世代間での良好な関係性を阻害していると感じます。

核家族主流でもそうした傾向が強い為に、三世代間或いは四世代間との生活経験が乏しくなる経緯により、偏向思想や個の価値観の相違に対する理解と言う物が形成されない世の中となっており、それが働く場所にまで波及して問題となっている事例が多く見られるようになってきました。

特に通信技術と日常生活の多様性が大きく寄与する部分があり、実体と通信技術を通しての交流に大きな乖離と偏見が生じてしまう為に、時には起こる事も無い問題や事件が起きてしまうのも致し方ない環境下であろうと見ています。

異なる世代間での相違は当然の事ながら生まれてきてからの育成環境や社会体験などにより時代で異なるのは当然であるが、家制度の崩壊により本来得るべき経験などが消失してしまった経緯があるので後になってから互いに理解に苦しむと言う現象が起きます。

家族を重んじるのか個性・個人を尊重するのかが曖昧である現在では、時折おかしな問題が話題として取り上げられる生活環境下にあるも、身に付けるべき事を後回しにすると言う現在ではとりわけ議論をしていても聞いていて・見ていても起こるべくして起きていると言うのが実態です。

科学技術の発達によりより便利な社会や日常生活を送る事により、失われてしまった感性や衰える体質などは交流関係以外でも健康寿命などと呼ばれているものにも影響を及ぼすであろうし、ここ20年前後においてかなりの変化が自然的に生ずる可能性は高く、少子高齢化などと言われている現在の状況などよりも深刻な事態になるのは時間の問題だと感じます。

比較的元気な高齢者が存在するのも今だからこそであり、今後20年後以降の社会においてこうした状態が継続すると言うおかしな見立てをしている有識者やコメンテイターなどはとんでもない誤った発言であると福祉関係従事者である個人的には思えます。

機械による自動化により不良品に対する意識の低下

商品にしてもそれらを構成している部品などにしても機械化が進み大量生産可能の時代と言う事が当たり前となり、人力での作業と言う物が減少し機械・商品・部品などの状態や検査などを担当する少人数での体制が進展する中で、検品や定期検査・異常の早期発見対応などが機械だよりとなり、消耗したり摩耗したりするごく当たり前の事でも本来であれば早期交換や修繕などを怠ると言う傾向が現在では非常に多いと言えます。

人件費のコストカットのみならず生産における自動加工機械でも個々の企業により古い機械を使い続けていたり、新たな機械でも機械だよりになり検品や機械の状態、不良品や耐用度合いが不明瞭であり修繕を怠る様な運営が起きたりしています。

時折ニュースなどで起こる異物混入や不良品、基準を満たしていない物などが様々な産業で起きたりしています。

勿論、運営方法・人的問題・整備不良など要因としては色々あるも、量産型の物では特に大きな問題となる事もあったり、酷ければ障がいを負ったり、人命にも関わる様な事態も振り返れば多々あります。

また元々の検査体制の制度的な問題もあります。

機械による自動化でのコストカットで更に原材料においても怪しい部分が現在では問題として提起されている部分も出て来ており、安価と言う側面だけを求めるあまりに品質としての不信にも繋がっています。

国や省庁による慢性的な形式だけの受け入れ態勢や観察体制ではやはり限界である事象が更に問題を大きくさせている所でもあると思われます。

これに自動化制御を電子回路のシステムでオートメイション化する事で機械の異常とシステムの異常とが混合され複雑になっている為に、専門知識を有して更に経験豊富な人材が必要となる一方で、実務の浅い専門知識・有資格者だけに頼り経営者は運営だけを考えればいいと言う安易な方向へと習慣化され、ちょっとした不具合や問題などはコスト面だけで考えられ放置されやがて大きな事件へと発展して行くと言う偏った時代でもあると考えます。

検査体制における形式だけの申請や申告とこうした運営方法が常習化してきており、実態は基準すら達していないと言った問題すら放置されている無法地帯みたいな環境だと言えます。