あるあり日記

個人的な感覚・感想

正月休みに起こるお餅の窒息事故について

新年になり、多くの家庭ではそれなりの特別視されている料理などを食べると言う工程と言うか習慣的に時代が変化してきている現在でもある。

マスコミなどもこういったシーズンやイベント的な時期にはこうした話題にまつわる事故なども多く見かける。

但しそれらは一般的な家庭や世帯であって、医療・消防・介護・福祉と言った特殊な職業においてはあまり関係が無いし、逆にこうしたイベント的な時期こそ注意してやらないと言った事も珍しくない。

特に食事に関しては、どの時期であろうとも詰まりやすい人、嚥下の低下した人、飲み込みが悪い人、嚥下低下が無くとも認知により早食いしてしまう人などを相手にしている為に、お餅などもってのほかで、酷い場合だとスポンジケーキのひとかけらでさへ危険な場合があり、お餅だけが特別危険だと言うのはやや偏りを感じる。

自身もこれまで介護現場時代には多くの窒息や誤嚥・誤飲などを多く体験しそれらの状況にあった緊急措置を幾度も経験してきた。

誤嚥・むせると言った経緯では背中の上部を叩くと言った手法が多く、窒息であれば腹部圧迫手法を行使し、使用する事は無かったがこれでも無理であれば多くは推奨されていない掃除機での吸引もどうやってやるのが適切かなど想定していた時期もあった。

幸いにも自身の体験の中では最悪の状況を迎えると言う経験はしなかったが、医療機関などでは特にこうした最悪の状況に正面からぶつかる事が当たり前で、更に適切な対処法などが行われていない場合が現実的には多い可能性が高い為に、最悪なままで終えてしまう事も少なくは無いと個人的には感じています。

窒息や誤嚥でなくとも、脳梗塞脳出血心筋梗塞、腸閉塞、ヘルニア、急性膵炎など数多に及ぶ緊急事例が消防・医療機関では対応して来ている。

比較的手薄である長期休暇ではこうした対処をする事は平時よりも更なる困難へと結びつけると言う世知辛い現実がある。

個人的にはこの正月だけに対するお餅による窒息事故の注意喚起は正しくないと思っている。

常日頃お餅だけに限らず、普通の人から見ればこんなもので?と言う物でもこうした事は起こると言う注意は必要である。

病院に対するサイバー攻撃が現在の隠れた戦争手法の一つとなってしまった

病院に関わらず、国・省庁・自治体・大企業など官民問わずサイバー攻撃が現代流の戦法がある意味で、隠れた戦争状態であると言う事は間違いない。

歴史を辿るといくら戦争であっても何故か礼儀と言うか暗黙の了解みたいな事例があり、相手の使者(現在で言う外交官)などは手を出してはいけないと言った時代もあった。

と同時に、文明が進むにつれ民間人を始めとする非戦闘員や非戦争機関・団体などに対しては攻撃の対象としないとする事が例外を除けば当たり前となっている。

しかしながら現在では核を持っていても戦争で使用する為では無く多くがこれだけの軍事力があると言うのを誇示するために保有しているに過ぎない。

今ではあからさまな戦争(紛争は除く)が起きれば多くの国々が大打撃を受ける事は間違いないと言う当たり前の予想が認識されている状態であり、核武装や軍事演習などはすれども特定の社会主義独裁政権でもない限り実行するのは困難である。

相手国の軍事基地や司令部などを直接的に攻撃すると言う事が国際的な倫理として一般的には出来ない状況である為に、ドローンを始めとする電子機械やネットでのせめぎあいが起こっている。

国に次ぐ病院を狙う事は銀行を狙うのと同様に情報戦である為に、直接的では無いにしても特定の人物に対する情報を特定したり、間接的にランサムウエアのように情報を運用できない状態に落として被害を与えると言った手法が技術の発達と共に、戦時下の暗黙の了解と言える礼儀を無視する情報戦争が年々増加してきている。

最早、現在のこの隠れた戦争では大義名分のもとに事を起こすと言うありきたりな手法を取る事は無く、なりふり構わず官民・非戦闘員までもが巻き込まれる時代となった。

よく核に対して反対の声を聞くが、現在では核などよりも電子機器にまみれた情報戦と電子戦争とも言える状態であり、核による被害を強調すると言う時代ではなくなっている様な気もする。

コンピューターからのネットワークシステムが構築された事で、実は既にこの情報戦と言う物は開戦を始めていたと言う実情を多くの人々は理解してなく、安易に電子機器を普遍的に利用し、ネットワークも同時に安易に活用している。

デジタルへの推進は良いが個人的には古典的な手法とデジタルでの手法とを両立して使い分けをすると言った行動自体が非常に重要であると考えます。

自粛や規制慣れ習慣から年末年始モードは気を付けたい事

一般的には特殊な職業やサービス業を除き、年末年始と言う長期休暇に入る。

昨年と異なり、変異株などが危惧されているものの日常的に表示されてきた感染者数が比較的少ない事と、ワクチンの接種がある程度進んでいる事により、この休日と言うのは多くの所では羽目を外す人々が増加する傾向は想像できる。

但し、流行風邪などよりも非日常的な生活が継続されてきた為に、今まであった普遍的でありきたりの生活と言う物への注意がやや怠っていると言う側面があり得ます。

その当たり前での行動前後や行動中などに起こる事故も当然の事ながら、今まで我慢してきた分だけ発生率も上がると言う物です。

しかも規制かと言う特殊な状況が2年も継続していると言う状況もあり、こうした普遍的に起こる事故と言う物に一段と注意しなければなりません。

小さな事故が大きなものへと発展する可能性も高いので、当たり前だと思っている事が当たり前にできない場合があると言う事です。

人それぞれと状況や環境下は異なるも、こうした長期休日でしかも年越しと言うある種のイベントみたいな性質を持つ事で、これくらいならばと言う物でさへ注意が必要だと考えます。

これは年齢など関係なく、誰にでもどのように突然訪れるのかは分らないので、年末年始と言う時期は最も気を付けなければならない時期の一つと言えます。

やや世の中では当たり前、普通と言う事に対して変化が訪れている現在では、何がどう変わっていくのかは予想をする事は困難です。

寧ろ、何を基準にして当たり前か?何をもって普通であるか?と言うおかしな状態とも思えて仕方がありません。