あるあり日記

個人的な感覚・感想

既存の組合ありきの物流では農作物の価格のみに視点が行き豊作も不作も関係ない

日本では米の様な穀物を代表として、野菜や果物など様々な分野でも限られた農地でもって創意工夫がなされ、品質や管理などでも信用があると言うのが諸外国からの評価である。

しかしながら、種や苗の段階から自家製では無く買う事が当たり前となり、肥料や農薬などにおいても化学肥料が主流で、かつ出荷ルートや販売企画規定までもが組合でもって管理されている既存の農家では、農業器具や農業機械までもが支配されており、豊作であろうとも不作であろうとも農家にとっての還元は殆ど関係が無い。

特に乳牛などでも最近話題となった廃棄問題についても同様の仕組みであり、個人で特定の出荷ルートなどを確保していない畜産農家では組合の意向ひとつで廃棄と言うおかしな状況が生じる(バター・加工牛乳・チーズなど乳製品に対しても出荷比率が決められている為に、余剰分を作る事が出来ない)。

野菜でも同様で余りにも豊作になれば組合ルートでの流通において規制がなされる一方で、余った野菜を廃棄し畑の肥やしとする事で補助金などが受けられると言った目に見えない仕組みが存在し、農家と消費者との間での乖離が生じる事はしばしばみられる事象である。

最近では組合と通さずに自己でもって物流ルートを開拓する傾向のある農家ではこの事象は全く存在せず、農家も加工業者も適正な価格の浮き沈みがキッチリと出る為に、本来の需要と供給で示される価格競争が行われる事ができる。

こうした個別の販売ルートを持たない既存の組合ありきの農業政策では農家だけがどれだけ頑張っても支出の方が大きくなると言うおかしな傾向にある為に、後継者問題と言う状況が生じる事を知っている人は実は少ない。

種や苗、化学肥料・農薬、混合飼料(畜産の餌)、農業器具から機械まで組合の条件下に置かれた規格が存在する事で、大雑把に言えば収入よりも支出の方が上回ると言う仕組みが出来上がっている。

当然化学肥料や農薬、混合飼料などは国内物ではなく海外からの輸入品である。

昔では農薬以外は農家による自己生産が当たり前であった時期の頃と今の農家の在り方では全く異なる現象が起きている事を消費者も知らなくてはならない。

そして安価な輸入品に頼る事が当たり前となった現在では、安価だが自己生産が行えず、余計な出費をする事が当然となり、更にそれなりの害獣対策や季節を問わない生産体制が整っている状況では、季節ものと言う農作物の在り方自体を変えてしまった。

農業・畜産業・漁業・林業などにおいて市場関係者・組合役員・関連省庁・関連自治体職員のみが得をする仕組みづくりに特化した為に例外は無い。