あるあり日記

個人的な感覚・感想

幾ら分析や解析して制裁程度しかできない国々の機能は所詮程度が知れている

昨日に続きウクライナ情勢の件で記事を書いていこうと思います。

様々な報道やメディア、知識人、政治家、専門家、当時国民、第三者国民等による分析や解析或いは批判論評、制裁、軍事物資の供給などの協力が行われていようとも、所詮は直接的な戦争停止にはおおところ至らないと言うのが事実です。

歴史的にはこうした文官達の派閥抗争・分裂であーでもないこーでもないなどと方策が決まらずに国が結局滅ぼされているのが古来よりの歴史です。

また特にネットワークでの情報拡散により、より一層攪乱状態となっています。

所詮抑止力と言う名の元にある軍事協力協定みたいな物は利害関係や自国の損失などを考慮しているので、本当の利益や直接的な損失が無い限りは制裁や声明などにとどまり、形骸化している状態であると言う本質がこれで判明しました。

ただしかしながら、この機能が動いているのは露・中・北・独裁国家(中東)であり、ここに関しては確実に協力関係・利害関係が成立していて連動しています。

幾ら今のウクライナの現政権が当国民に良かったとしても、戦時においてはこの限りではなく、何年も前から起きている紛争を含めると被害は増していると言うのが実情でしょう。

交渉の場が用意されていて更に不利な条件下であろうとも国民を守ると言う大前提をおざなりにしてしまい、更に交渉をしないと言う決断をしてしまったと言うのは上策ではありません。

また他の国や軍事的な協力協定を結んでいても動員出来ないと言うのは既に露としては看破されており、犠牲はあっても目的を実行していくと言うのが現状です。

世界的に知られているいかがわしいハッカー集団がこの事に関して平和を維持するために動くと言ったが、止まりませんねぇ。

戦争は時間が掛かる程に疲弊すると言う常識はあるが、現時点ではまだ2日しか経っておらず、しかもかなりの戦略を練っての行動ですので多少の持久戦はある程度は想定済みです。

こうした時に軍事関係企業や間接的な企業経営者と投資家たちはこぞって資金を投入すると言う拍車をかける行動を取るので、そう上手くは停戦に持ち込むなど古来より出来ないと言うのが歴史的に見ても感じ取れます。

よく核の抑止力と言うのを強調する人がいますが、これは少し見解が個人的には異なります。

昨日も述べたように滅ぼすのと、非戦闘員を巻き込もうが局地的な大きな損傷を負わせるのと、軍事拠点のみ破壊し非武装化させるのと、更に獲得するともなれば破壊力の大きいものは持っていようが現実には利用すればその地帯は復興困難(使い物にならない)となる為に、行使できないのが現在の状態とも言えます。

昔の戦時では多くは非戦闘員をも巻き込むと言った戦い方が多かった歴史があり、文明を象徴する遺跡があろうと、何であろうとも破壊すると言う徹底ぶりが古来の戦い方でした。

現在では国民(非戦闘員)と文化遺産、天然資源、インフラなどをなるべく破壊しない様にすると言う近代文明的な戦闘が例外を除き本来の戦い方です。

しかしながら国々の地理や歴史的背景、経済的な利害、宗教的な相違などにより紛争や戦争の形態は異なります。