あるあり日記

個人的な感覚・感想

民族間の問題は他の民族が介入するとおかしな事になる

人間と言う一括りとしているが、人種や民族などの部類で地域ごとにその主たる・大多数の種族による社会と言う物が形成されている。

それらを国や地域などに分けてそれぞれに合った若しくは妥協点での規律と言う物を定めて統治が行われている。

日本においても多分に漏れず、大和国民とは言う物の地域ごとの言葉・習慣などは異なっており、詳細にすれば家系規模にも繋がり何かしらの問題は継続的に起きているのが現状であるので、それを中国や米国などでは多民族国家形成であるがゆえに、国を統治していくこと自体が非常に困難である事が常に何かしらの課題としてくすぶっており、それらを一致させるために他の国に対しての対外的な問題を掲げる必要性が付きまとう。

西洋でも中東でもアフリカでも南米でも文化レベルは異なれども同じ問題に直面する傾向が非常に高い。

これらは世界的な元々有り得る常に付きまとう問題であり、統治しようとも何かしらのきっかけで大きな出来事や分裂などを生じさせ、紛争や戦争・破壊などに繋がってしまう。

こうした民族間での争いなどに、他の民族などが介入すると余計にややこしい事になったり、意図的に介入して美味しい所だけを取ると言った現象が起きる。

一番わかりやすいのが家族単位でその家族内又は親族間などの問題に第三者が介入した時に、その問題に対して専門的な人であれば何とかなる事もあれば、親切心やお節介などで手を出すと更に事情は悪化すると言った事例が典型的な例である。

個人的な事象に関してもこれは同じであり、血族であろうが合わない物は合わない。

現在はグローバル化などと言われ、世界規模の経済や市場などが巻き込まれており、余計にややこしくさせている。

そこで事前に確認し同意させる・従わせる為に、規約・規定・条例・法律・契約・条件・条約・同盟・連合・連盟など様々な共同体としての統一・統治・統制を計る。

ただ多くのこうした物に関しては形骸化している場合や時代にそぐわない事例も起きる為に、問題は常にそれぞれの事情や立場により異なり、それぞれの事情や立場の異なる個人や団体の介入により何となく解決したような、解決しないような、おかしな事になったりとするのが一般的である。