あるあり日記

個人的な感覚・感想

憶測や推測が思考の歪みが生じる

昨日も記述したように疑念は今なおも晴れず何かスッキリとしない感じが継続している。

錯綜や憶測や誤報などが飛び交う中で、自身は事件そのものよりも救命措置についてしか意識が向かない。

昨日夕方に残念ながらも訃報が流され、それに伴い急患を受け入れ懸命なる救命処置をされたであろう医師による会見の場において、あそこまで無駄に時間を費やす事もおかしな現象であるが、その会見における医師による経緯などの話の内容などを慎重に真摯に聞いていた。

ところが県警による会見の内容を聞くと更なる個人的な疑念・齟齬が生じる。

疑念や齟齬に対する話についてはこの場では語る事はもはや無意味であるので、事件そのものの経緯についてとこれからの対処や予防措置の在り方を考えるしかない。

自身は消防署での救急隊による救急搬送や急患を受け入れ懸命なる救命処置をした医大や医療従事者に関しては何にも文句無く敬意と感謝を表したい。

問題は県警・市警・行政の対応である。

マスコミは所詮マスコミではあったが、これまでの様々な情報を整理していく一環において、やはり個人的には信用面においてパズルで言うピースが上手くはまらない状態である。

この様な事件が起きた事や様々な情報錯綜などによりおかしな偏りや歪みみたいなものが生じなければいいと願うばかりである。

色んな意味で考えさせられる出来事である

皆さんは既にご存じの通りである衝撃的な事件ですが、自身は人伝に襲撃の件について昼休み時に聞き、氾濫し錯綜する情報などが出ていた中でとある動画を見て介護福祉従事者としての視点で恐るべき対応がなされていたであろう状況を目の当たりにした。

本当にこれはあくまでも個人的な感想になってしまうと言う事を前提において話を進める。

当然の事ながら襲撃事件そのものを全体的に見るのも重要であり、襲撃から犯人確保における流れそのものに対しても様々な憶測などが飛び交っている。

ただそれでも明らかに左胸部(と右頸部損傷)を貫通していると言う状況において、心肺停止状態であったとしても介護福祉従事者であり介護の様々な現場での緊急措置などを経験してきた立場で言えば、心マとAEDと言う措置は逆に様々な経過を考えると恐ろしくて自身には救急車を呼び止血しか対応をしかねます。

確かに心肺停止状態が経過すればする程に脳へのダメージは大きくなり、且つ蘇生の確率も低下すると言う事は十二分に承知しています。

個人的に負傷者への対応をしているあの動画を見た時に大きな違和感しか感じませんでした。

現在では様々な業種間で緊急避難訓練救急救命講習などが行われているが、かも初期の段階での現状確認をしてからの次の措置は、一般的にはよく分からないであろう状態で倒れており、心肺が停止している事を確認し、そして他に損傷などの有無を確認、他の人の手を借り救急車を呼ぶなりしてもらっている中で、体位等を適切にした上で蘇生措置と言うのが流れであろう。

今回の件に関しては何度も繰り返すがあくまで個人的な考えと感想であり、救命活動をしている人を非難するつもりも責めるつもりもありません。

世間には警備の甘さと犯人への犯行動機などが先行しており、救命活動における状態確認が出来ておらず余りにも個人的には恐ろしく感じたと言うだけの話です。

当然専門家である人々の意見・見解と言う物がここに関しては必要でありますので、自身の違和感の話はここまでとします。

さて話は世界と飛びますが、この事態を受け各国現首脳元首脳や外交官などからのメッセージ内容も速度も意外性と興味深さを感じさせるものが伺えます。

また犯人像に関しても精神的な疾患は微妙であるが歪んだ思想などあり、サイコパスや科学者・技術研究者的な探求と作り出すと言う欲望みたいなものがあった可能性が十二分にあります。

そしてその完成品である物の実験検証として印象が高い人を目的として実行した事も十分に考えられます。

これもあくまで個人的な推測であり、元々その人物を標的としたと言う見解もあり、犯人の話などは恐らく今後支離滅裂的な表現がなされる可能性が高いと考えられます。

最後に、故安倍元首相が外交的に印象が強かった点と改憲への意欲が高い点だけは個人的に称賛に価すると考えています。

平年よりも早い梅雨明けと猛暑により様々な環境的な問題要因として扱われる懸念

今年はやや早い梅雨入りと時期早々たる梅雨明けとなり、梅雨明け前には真夏を思わせる様な猛暑ぶりが起こる事により様々な弊害をもたらしています。

ことCO₂過剰排出で地球温暖化による気象変動がささやかれている中において、この事態を見逃す事は考えにくい。

まず前提条件として大きな災害などを考慮せずに気候変動による年間降雨量の総量をみていると観測初期から現在に至るまで実はほぼ雨量の総量による大きな増加や減少は殆ど見られない。

問題となる条件としては、日本ではゲリラ豪雨(局地的集中豪雨)や台風による災害の度合いや頻度、逆に雨量の一時的な減少による水不足の影響、温度(気温)の過剰な増減による間接的・直接的な被害や災害などの事象問題がどの程度あるかによる。

インフラの過剰整備展開や木や雑木の手入れがされず適切に保水や地盤の安定が損なわれている現在では、当然の事ながら起こるべくして災害が起きている現状が分かっていない人々が多くいる。

昔の人々が何故に河川や田園地帯の位置ではなく、山林近く(山の中腹あたり)の高台へ家を建てたのかと言う背景を考えてみると実によく考え抜かれた地の利である。

現在は技術と産業の変化によりそうした自然との付き合い方と言う物を技術にばかり囚われ過ぎており、地の利を捨て災害を自ら受けると言うおかしな状態が普遍的になされているのを余り考えようとはしていない。

自然との調和・食物連鎖の崩壊など人類が全て自らの手で歪みを生じさせている。