あるあり日記

個人的な感覚・感想

プチバブルか?

日本の国内では円安物価高傾向にあり景気が余り良くないようなイメージが蔓延しているも、物価高は仕方が無いにしろ円安の恩恵が後に日本の経済を健全化に向くであろう景色は余りイメージとして湧いてこない。

消失した30年と言われる期間があるが、その間に円高物価安で経済政策もたいして行ってこなかった時期がある為に雇用や賃金などへ適切な繁栄をもたらす事が出来なかった。

それでも時勢は刻々と変化していき、当たり前が当たり前では無くなり、様々な産業においても格差が広がりを見せ、一時的な流行や繁栄を見せるもそれらが国民全体に豊かさをもたらす事は無く、更なる格差と価値観が生ずる羽目となった。

現在は稀に見る日本におけるプチバブル傾向が発生しつつあり、どれだけ継続するのか、経済全体においてどれだけ恩恵や潤いをもたらし、財政などの再建や健全化、価値観の変化などがどこまで行われるのかが問われる。

諸外国においては日本などより混迷している経済状況があり、自国通貨高に逆に苦しむと言う経済的な疲弊と雇用の不安定さがますます進む傾向がある事から、日本においては本来持つ日本の良き側面を今こそ出していくべきである。

日本では30年と言う消失期間があり、人材の交代などが起こっている為に価値観などの相違が悪影響を及ぼす懸念があり、本来持つ日本の良き側面を発揮する事が出来ない可能性があり、折角のプチバブルを活用できない社会がある。

働き方や家庭の在り方など日常生活における習慣や考え方が変化している為に、この状況下を利用する事は難しいと想像してしまいます。

この立て直しのチャンスを生かす事が出来るのかが日本の健全化への鍵となるのは間違いない状況下だと感じます。

非現実的な人々の増加による問題

今では仮想的・妄想的・疑似的な現実的な体験や経験などを日常的に感じる事が出来ない環境の問題があり、いざ現実的に行おうとした時に普遍的な言動が困難になり現実と理想・空想での乖離状態に陥り、現実社会に適応できない人々が増加傾向にあると思います。

何でも利便性や効率化・簡易化などの向上により、本来踏むべき・体験すべき事象を省いてしまったが故の社会的な現象である。

こうした人々の増加により、当然の事ながら現実的・日常的に体感・経験などをしている人との問題が表面化してくる。

よく非リア充などと言う言葉があるが、個人的にはこうした人々が増加すればするほどに現実として行った時の充実と言う物が現実的に生きている人との相違があって、こう言っては何だがおかしな・不可解な行動などに見えてしまうし、あらぬ誤解を生じさせることがある。

また机上の空論的な人とは異なり、仮想と妄想が激しくて理論的に分別したり倫理的に現実との事象の異なりが非常に大きく体感する事になる為に、その人に与えるダメージやストレスなどの異常状態は想像を超える体験となってしまい、中には社会や日常生活までに影響を及ぼすと言った事態が起きてしまう。

現在、よくある精神的な問題の増加傾向にある内でこうした異状にまでに妄想や憶測が仮想空間や拡張現実空間などの発達によりより一層の拍車をかけていると言う問題に取り組むも根本的な要因の解決が行われない限りにおいては世の中自体が分裂したり、あらぬ方向へ行ってしまったりと問題が更に問題を呼び、経済的な要因を用いて更なる価値観の相違が生じる始末である。

余り表面化して問題としては取り上げられないが、失われた身体操作・運動機会が特に現在の根本的な消失であり、これらの心身の向上・機会・体験・ルール・人間関係などを構築する上でかけがえのない育成機会や時期がある人と無い人の両極端であり、これらが社会現象として異なる事態で表面化し問題点として議論されている。

心と体は一体であり、どちらが不全でも相当の強さを持たない限り人間とは脆いもので崩れてしまう。

ここまで科学技術が向上・発達してきた以上、これらを覆い隠す事は容易であり所謂情弱な人々へと陥り、あらぬ信仰みたいな物へとすがると言う現象も現在ならではの事象とも思える。

時代は刻々と移り変わっており、昔は昔で客観的に見れ、今は今でどう動いていくのか動かないのか、未来は未来でどうなるか分からない。

まともな政策ができない議員が増え機能不全状態にある

国や都道府県、市区町村などにおいて何故か主たる地域などでは著名人・芸能人など政治に疎い人々が当選すると言う現象がここ十数年で一気に起こっており、当選したのは良いが肝心な打ち出した政策において執行或いは何故に出来なかったのかと言う理由を誠実に対応している政治家は少なく、昔ながらの政治家の思想や思惑に良いように利用されるだけとなっている。

日本においては一応民主主義と言う体制になっているも、主要な支持団体や関係団体などの影響により様々な分野においてかなり偏りと言う物が未だに継続している状態であるので、国民や地域住民の意向を反映しているのかと問われればそうでは無いと言うのが現実的である。

つまらぬ利権・利害・しきたりなどが未だかつて変わっていない所が多く、議員だけでなく行政においても省庁・自治体そのものの組織的な動向により、立法たる立場を全うできない事象も相変わらずである。

かと言って行政に慣れている・知見がある省庁や自治体出身の者が議員となった所で画期的な時勢に合った政策を行えるか、何故に変える事が出来ないかを国民や地域住民などへきちんと答弁する事は殆ど無く、新たなる横文字などをもって名ばかりの骨抜き政策となるなど若者が政治に関心を寄せないと言うのも当然の事であると思う。

また目的が国や地方行政をよくするものを目指すのではなく、ただ単に議員になりたい、議員にさせられて上手く利用されると言う事例が非常に多く散見されており、到底例外はあれども民主主義国家の中身と原理が機能していないように考えられる。

とある一時例として議員を目指す人の目的を間接的であるが耳にした事がある。

その人はたまたま現在の仕事では時間的にゆとりが無く、家庭を維持していく事が難しいとの理由で何の政策も目的もないままで地方議員として当選した事例があり、2期目も当選し選挙時には1期目では何の政策も当然の事ながら出来なかったので2期目となる時には何かしら変化をもたらしたいと言う何の具体性(政策)も無い人物が若手と言うだけで議員となっている。

そして当人も家族も地域住民との繋がりを大切にするのではなく、普遍的に気の合った選り好みの繋がりしかない状態である。

選挙の時だけ愛想良くして、当選すれば関係ないみたいな動向が見られる。

本当に仕事としてしか思っていないような人が議員として在籍し、何の地域的な活動に対して職務を全うしていないのが身近にいるのが不思議でならないと感じている所で、こんな事例が全国で一部でもあるのかと思うと何の為の議員なのかがよく分からなくなってしまう現象があります。