あるあり日記

個人的な感覚・感想

非現実的な人々の増加による問題

今では仮想的・妄想的・疑似的な現実的な体験や経験などを日常的に感じる事が出来ない環境の問題があり、いざ現実的に行おうとした時に普遍的な言動が困難になり現実と理想・空想での乖離状態に陥り、現実社会に適応できない人々が増加傾向にあると思います。

何でも利便性や効率化・簡易化などの向上により、本来踏むべき・体験すべき事象を省いてしまったが故の社会的な現象である。

こうした人々の増加により、当然の事ながら現実的・日常的に体感・経験などをしている人との問題が表面化してくる。

よく非リア充などと言う言葉があるが、個人的にはこうした人々が増加すればするほどに現実として行った時の充実と言う物が現実的に生きている人との相違があって、こう言っては何だがおかしな・不可解な行動などに見えてしまうし、あらぬ誤解を生じさせることがある。

また机上の空論的な人とは異なり、仮想と妄想が激しくて理論的に分別したり倫理的に現実との事象の異なりが非常に大きく体感する事になる為に、その人に与えるダメージやストレスなどの異常状態は想像を超える体験となってしまい、中には社会や日常生活までに影響を及ぼすと言った事態が起きてしまう。

現在、よくある精神的な問題の増加傾向にある内でこうした異状にまでに妄想や憶測が仮想空間や拡張現実空間などの発達によりより一層の拍車をかけていると言う問題に取り組むも根本的な要因の解決が行われない限りにおいては世の中自体が分裂したり、あらぬ方向へ行ってしまったりと問題が更に問題を呼び、経済的な要因を用いて更なる価値観の相違が生じる始末である。

余り表面化して問題としては取り上げられないが、失われた身体操作・運動機会が特に現在の根本的な消失であり、これらの心身の向上・機会・体験・ルール・人間関係などを構築する上でかけがえのない育成機会や時期がある人と無い人の両極端であり、これらが社会現象として異なる事態で表面化し問題点として議論されている。

心と体は一体であり、どちらが不全でも相当の強さを持たない限り人間とは脆いもので崩れてしまう。

ここまで科学技術が向上・発達してきた以上、これらを覆い隠す事は容易であり所謂情弱な人々へと陥り、あらぬ信仰みたいな物へとすがると言う現象も現在ならではの事象とも思える。

時代は刻々と移り変わっており、昔は昔で客観的に見れ、今は今でどう動いていくのか動かないのか、未来は未来でどうなるか分からない。