あるあり日記

個人的な感覚・感想

経済的な格差社会と呼ばれるも科学技術の発展と恩恵は受けている

一般的に所得などの収入による格差が大きいと呼ばれている一方で、テクノロジーの発展による日常的な生活での利便さは実は向上していて、多くの人々にとって当たり前となり、逆にそれが基礎となって新たなる欲望や問題が生じてくる。

これらは、逆に戦時中や大規模自然災害が起こっている最中では古典的な手法でしか生活が営めない傾向にある為、ある程度治まらないとテクノロジーによる進展の恩恵を受ける状況にはならない。

こと所得における格差が問題視されているも、現実には富の集中と中立的とそれ以外の大多数になる事は当たり前の状態であり、日本においてはギリギリのラインであっても保険や公共の福祉がある為に、諸外国などとむやみやたらに比較などして思考が偏向されがちである。

富の集中が起きないと言う事は真に経済的な停滞が起きている状態を表しており、働き方もへったくれも無い環境となり、公共の福祉が保障される事すら危うい危険性が高い。

経済と政治は本来は切り離して考えることが大事だが、人間は実は未熟であり未完成の状態が継続する生き物であるがゆえに独裁があったり、形式上の民主主義が法律の下で生かされている。

現実には新たなる欲求段階への移行期であり、経済的格差が生じる或いは生活困窮と呼ばれる存在が生じるのは比較的安定していて、それなりの科学技術による利便さの恩恵を多くの人々が享受している事に起因する。

何かしらの新たなる考え方・思考・思想などが多く生じたり、訴えかけたり出来る現在では、本来持つべき生物としての生態が崩されかけていると言う悲劇を生む。

偏りが偏りを生み、知識があればある程に歪む、そしておかしな集団が形成されたりして、歴史的に見ると即ち国家の崩壊をも促す可能性が高い。

崩壊はしなくとも新たなる組織が形成される事例もこれも歴史的に見てもあり得る話である。

日本は本当にバブル崩壊以降黎明期が継続し、100年ぶりの新型ウイルスの蔓延に伴う生活習慣の常識崩壊?、少子高齢化の問題などは政府の責任か?経営者の責任か?それぞれ各々の個別の人々の責任か?

それでも失われたとされる30年間でも、科学技術は進歩しそのテクノロジーの恩恵を殆どの人々が当たり前のように享受している世界が存在する。