あるあり日記

個人的な感覚・感想

慈善活動ほどに曖昧なものは無い

現在は宗教や政治などに関する話題がとりわけ問題視されているも、それらを報じている報道機関においても残念ながら問題は継続して起こり続けている。

よく寄付やチャリティー、募金、今ではクラウドファンディング辺りが同義に思えるが、これらの活動を行っている団体などにおいても個人的には分別が必要であると考える。

組織自体が公的な物を帯びている所もあれば個人や民間団体、法人、それこそ宗教でも同義の活動を要しており、定期的に公に内訳などを公表するような所でも詳細が不明瞭な点があり、実質本質の救済や救助などへ適切に利用されているのかはこれも曖昧な感じがあります。

それこそもう何十年ともなる某テレビ局の何時間テレビでは、慈善活動を前面に出しあたかもこうした人々の救済や支援などへ活用されているのかと言われればそれこそ個別の事業に関する詳細なバランスシートの公表義務が当然の事ながらあると思われるも、多くの見ている人や端でボランティアで参加している人々も実はこうした活動の結果などを求める人ば聞いた事が無い。

やった感だけで事業であれば本来は詳細な貸借対照表などの決算書などが不可欠であるも、感覚だけで達成感が充実されてしまい本来疎かにしてはならない事柄は公にはならなく、ヤラセや演じると言う事象だけが後から出てくると言う始末である。

これは今話題の宗教においても同様の性質を帯びているものもある為に、末端の人々は本来はどうあるべきなどと言う考えに至ることなく活動を言うがままにしているだけである。

置き換えて政治や企業などにおいても同様であり、表面上の活動に無意味なものが多い性質を帯びている物は腐るほどにある。

またよく貧困層が多い国々への支援などにおいても実質形式だけのものが今も昔も多く、何故かそうした組織での幹部やトップは裕福である。

ネットが普及している中でも本来支援するべき状況が現実的に把握できる人は少なく、一部を見てあたかも全体がこうであると言う刷り込みが多すぎて、真実を見つける事が情報伝達が困難であった時代と変わらず起こっているのが現代である。

だいぶ前に宗教の話でキリスト・マホメット仏陀などは環境下は異なれども本質は同じような事を言っていると言う記事を書いたような記憶があります。

それは人間の本質の見解と言う意味です。