あるあり日記

個人的な感覚・感想

報道に対する報道の是非について

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事件や事故にに対して被害者が必ず存在しています。

無論架空や偽証の事例は除かれます。

その被害者に対する実名報道に関して報道機関や警察などの報告の仕方についての是非論みたいな記事を目にしました。

これらはいつも大事の事件や事故が起きるたびに報道され、暫く世間の動きが騒がしい間は煽ったり、偏らせたりするような記事が度々流され、少しの時間経過をすると報道の仕方や世論の偏りなどに対する第3者目線的な評論の記事が出されます。

それも事件や事故などの速報から始まり、世論を煽ったり偏らせたりして賑わせ、挙句に報道自身が評論などに及ぶ行為がおかしくてなりません。

今回は被害者や被害者遺族に対しての実名報道や公表しない方針などに対して、遺族などの許可を受けれたコメントを付けての記事でした。

報道自体は真実をありのままに公表する事が本来ですが、映像でも記事でも全体的に報道するのではなく、何か意図的なものがありカットしたり、記事を大げさにしたり、下手をすると間違ってみたりするような事は公然たる事実です。

報道機関は報道の自由を盾に取り、この盾を利用して公然たるやや偽ったような報道の在り方をしてくれます。

こうした状態が当たり前となってしまっては、多くの記事や報道の中でも事実を示していようが人間心理をコントロールした記事などの方が話題性があるのも一つの事実です。

これらが尾ひれなどを付けて巷の噂から世間の動向まで変えていってしまうと言うとてつもなく恐ろしい事になってしまいます。

おおところ事実に近づく人々は少なく、多くの人々や世論は間違った方向性へとコントロールされて行ってます。

今回見た記事に関しても思う事ですが、報道自体が報道の在り方について評論している事が既に間違っていると個人的に感じています。

報道は常に是非で言えば是の部分、真実をありのままに報道していくスタンスで、仮に間違っていたならば他者に指摘されることなく即座に訂正していくと言うあり方が正しいのではないかと思っています。

現在では報道機関だけでなくネットなどによる個々人の認識している事象においての記事を拡散できる時代であり、更なる情報の錯綜が起きています。

報道の自由表現の自由などにおいても一定の規律の元でもって成り立っていますので、少しでも踏み外す人が出ないように注意していく必要性があります。

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