あるあり日記

個人的な感覚・感想

少子高齢化社会と言われながらも児童施設が足りない?

どの分野や産業などにおいてもその時代の流れで変革や増減などが起きている。

今やよく耳にする少子高齢化と言う言葉通りに年代間の層の厚みは現実的に相違が見られており、今と今後と言う事柄でかなりの考えや方向性、改正、重要度合いなども相違がある。

高度成長期での人口増加でどの世代も増加が見られ、以降バブル期を経て都市集中への傾向が強くなり、人々は田舎や小さな町などから大都市圏へと移動を始める事により、これまで多くあった学校や保育園・幼稚園などの利用率に偏りが市町村ごとに影響を及ぼし、また市町村合併の推進などの背景もあり、同時にこれらの学校等だけではなく産業までもが統廃合に追いやられ、面積が広いが学校や福祉施設(2012年介護保険施行)などの再編や統廃合など様々な変遷期が地域ごとにより更なる偏りを見せた。

現在、託児所、放課後児童クラブ、保育園、幼稚園などが足りないと言う状態はこうした過程により再編や統廃合の結果であり、また認可保育園など民間が参入する事により不足分を解消しようにも一度統廃合などを経た所では民間による施設の運営は特に私立を見れば分かる通り、商業的な経営になり純粋な学校運営など出来ようはずもない。

児童施設にしろ福祉施設にしろ特に人口が多い地域、大都市圏では利用者の増加の一方で小都市、過疎地などでは衰退と言う傾向が見られ、経営と現場での乖離のある人材が運営するような施設が逆に多くなっていき、コーポレートガバナンスコンプライアンスなどの順守が到底見込めない運営がなされている。

それ程に商業的になればなる程に真っ当なサービスの提供が困難な実態が問題となり、事件などが多発するような状況下にあります。

かと言って公的な施設においても時代の変化に逆らった様な昭和的な価値観が蔓延している事により、これもまた時として異なる問題が表面化してきている現在でもあります。

これまでに多くの公的産業が民営化されるも、健全と言える運営形態やサービスの維持・向上などが見られている所は少なく、テクノロジー発達と共にその乖離は顕著に経営など直撃して新たなる変化や方向性を恐れ、規制・基準・法律的にも時代遅れともなりそれが足かせともなっていると言えます。

話を戻し、少子高齢化社会にも関わらずこうした児童施設が足りないと言った経緯は大都市圏への人の流出や統廃合がもたらし、民間への認可を与えた事によりより一層地域ごとの相違が出てきた結果だと思います。

子どもが少ないと言っているにもかかわらず託児所や保育園、幼稚園、放課後児童クラブなどが足りないなどは、本来であれば地域により統廃合などの政策が無ければ維持できたはずであり、見立てが短絡的に感じます。

もう一つの背景では働き方・家庭の多様性と言う価値観や思考・思想の変化により女性が昔よりもやや社会進出出来ていると言う側面も考えられます。

更に特に家庭・家族・独居と言うそれぞれの人生の在り方にも変化が見えて来ており、集団生活より個の生活を重視する傾向も良くも悪くもある側面です。

それぞれ異なる次元での話であり、これらを混同して考えようとするとおかしな方向に議論が行きがちになり、また世代間での相違もある為に時代に即したサービス提供又は維持・向上・改革をするのは非常に困難な時代とも思えます。