あるあり日記

個人的な感覚・感想

交渉と取引では度合いにより表と裏の部分がそれぞれある

何事にも交渉や取引などで一方や双方ともに重要であったり、必要不可欠であったりするものであればある程に詭弁を弄したり、駆使したり、譲歩したり、妥協点を探したり、物を介したり、或いは物や金銭などを材料として行われている事例は多く存在し、身近な事から国レベル等にもおいても使われている状況である。

物事にもよるがそれらが結果として問題点も無く良ければある程度の公表はされるが、問題点が存在した場合には経年などで公に顕になってくる事もある。

また、関係性が構築されて長くなればなるほどに逆に時代の変化で荷物ともなってくる事もある。

結果が問題点も無く失敗に終わるとこれも物事の程度によるもまた問題となってくる状況も出て来て、酷い場合は禍根として残り、放置しておくと厄介な出来事すら起きてくる事もまたある。

現在ではこうした時代の変化により過去では上手く言った事柄でもそれぞれの諸事情も変化している為に今まで以上のものが必要となったり、新たな物が必要になったりと変化していくが、やっている事は同じではある。

双方の状況の変化により優位性も変化すれば、異なった相手を必要になると言う状況も出てくる為に、はたから見ると言い方は悪いが捨てられたと言うような印象をも与えたり、世間にもそうした感覚を受け付ける事も出てくる。

歴史的に見れば確かに科学技術の進歩はなされているが、交渉や取引と言った様な事象は避けられず、結果的には同じような事の繰り返しである。

政治と宗教と経済と言う物は一応は切り離して考えていかないと言う建前があるが、大きくなればなるほどに関係性と言う物が必要不可欠となると言うのも歴史的に見ても同様の事柄で起きている。

ネットの普及により普遍的に様々な情報を取得できると言う仕組みが構築された現在では特に大多数の影響がもろに出やすいと言うデメリットもあるので、情報と言う物は昔からそうであるが重要性は非常に高いし価値観もある。

一方でそうした現象によりデメリットの部分が大きくなり多様化し過ぎて肝心な事柄が進まない、改善されていかないと言う簡単にはいかない時代でもある。

その一例として旧体制の考え方からの脱却ができなかったり、抜け出せないような状況にまで陥ってしまったと言う所もまた問題ではある。