あるあり日記

個人的な感覚・感想

科学技術が進化するも日本では法的規制などが慎重になり過ぎ遅れて進む

どの時代においても技術や文化など文明が進むにつれて国々が考案・検討し改正されるも、新しすぎるものであったり、古すぎるものであったり、何かしらに利するものであったりと様々で、歴史的においても経過を顧みる事ができます。

様々な事柄があるものの、成功してきた例と言う物はどちらかと言えば長期的な安定をもたらす時代もあれば、短命に終わる経緯を辿ると言うような状態があるが、長期的な物は比較的少ないと言える傾向にある。

同じような形態の文明を見ていても近隣などにおいて不安定であれば、良き政策を施しても国々の思惑により決断を迫られ、あらぬ方向へと行く過程も歴史的に多くあり、現在においても同様である。

ただ変遷期など大いなる変化が訪れる際にはどの事象においても多大なる被害や人命が失われると言う悲しい現実は避けては通れないと言うのも歴史的には大いに存在している。

特に情報に関する周知が簡単に多くの人々へと拡散できるようになってからの変化と言う物はメリットもあればデメリットも当然の事ながら事象として起こる事は想像するまでもない。

情報技術に関する進展により、個人的な話にはなるが人間の負の側面と言う物が大いに躍進し、事実でない事ですらあたかも真実であるかの如く知れ渡るので厄介である面、情報弱者と言われるような情弱の犠牲者が普遍的に熟慮せずに行動に移ると言うおかしな現象が度々問題として生じている。

そして典型的な言い訳や都合の良い解釈、日和見、火の粉が移らない様に言動が変化したり、時として本質は悪くともこうした時に名声や富、組織を膨らませると言った言動に急激に移る人など見ていてこれ程小粒になっていると言う現在の日本は残念ではある。

今では小粒のやや上でも逐電したり、野に下ったり、密かに己を磨いたりと社会上の表舞台からは姿形すら見せませんので小粒同士の潰し合いみたいな出来事が散見され、出るべき人、登用すべき人、顕になるべき人が見えてこないのが歯がゆい状況であり、個人的にもそうした人々の到来を待つ事しかできないのも嫌なご時世ですよね。