あるあり日記

個人的な感覚・感想

ロボットはロボット

人工知能や深層学習などの技術がコンピューターを使って時折話題として上るも、人間にとって不快であったり、不都合であったり、不自然さを感じたりする事が結局の所で出現して改良・改善の余地ありとなる場合が多い。

ロボットでもアプリでもそうした機能を有した製品が作られるが、未だに人間にそれなりになじむことは出来ていない。

この話題を書くに際して、マイクロソフトのサービスによる会話検索システムでの不都合な事例があって、改善を余儀なくされたと言う記事を見てやはりと言う思いで取り上げました。

記事によるとアプリが高圧的であったとか、間違いを認めないと言うような事があったようだが、これはただ単にシステムのエラーとか設定のミスであったりとか、事を淡々に表示されると人間としては不自然であり上から目線に見えるのはコンピューターならではの事象である。

人間同士が会話なり意思疎通が体現できるのは、言葉の使い方や言語・方言・略語・流行語だけでなく、声のトーン、表情や体全体の仕草・状況、その時の感覚、経年・経験による知識や立場、知的レベルや人間であるが故の欠陥・欠点等が複雑に絡まって形成されており、人間同士でさへ誤解や語弊があるのにそれらを超えて機械と会話が形成できるなど単純な事でさへ出来そうに思えるも、非常に困難な事例が多発するのは明らかだと感じる。

機械には深層学習にしろ人工知能にしろ搭載されていたとしても、それはあくまで会話と言う機能のごく一部を表現したにすぎず、決定的に感情や人間の個性、経験則が足りないと言う状況での製品であり、機械的に生み出された表現はエラーが無ければ正確・的確過ぎるが言葉足らず・配慮足らず、余分な修正をするが為に、構成が中々難しいサービスの一つと思う。

科学技術が進んでいると思われる現在ですら交流に関して体現する事は出来ていないし、今後の見通しも芳しくは感じていない。

意味不明の感覚を自分なりに表現すると、素数の公式が出来ないのと同様に無限に近い解析を行っているような機能。

生命体はそう単純なものではない。

持ち回り

よく国や自治体などの公共事業に見られる不正競争・談合・カルテル・贈収賄・脱税・多重委託・不正積算・情報漏洩などの問題は度々発見されニュース記事で見る事がある。

以前、補助助成事業についても不正や天下りなどの事例として取り上げてきたが、似たような性質があり何かしらの問題がある事には変わりがない。

特に大手企業や特殊な技術を用いる必要性があると、公共事業でなくとも民間においても似たような事例が常日頃に取り扱われているのが、実は多いのが繋がりや慣例などとして社会の仕組みのようにされている。

本来の事業がされていない企業でも、受注などを行い再発注・委託・請負として他の企業へ降ろし、コンサル・顧問料・委託料や手数料などとして所謂中抜きの様な業務が行われているのが事業として存在するも、それらを通じて事業展開している下請けや中小企業などもあって良くも悪くも雇用が生まれているのも事実ではある。

力のある大手や既得権益或いは独占的な事業に関してはこれらの体制・仕組みになり、えてして問題が生じやすく、手抜き・不適切管理や体制不十分などの新たなる問題も今では大小多くあり、それらの一部が何かしらのきっかけにより表に出て世間を騒がせる。

話を戻し一般的に公共事業などでは特に競争入札であるも、予算的に安いと言うと語弊があるが、予算に近い物を取り扱うと言う性質から大手の持ち回りや談合などが生じやすく見れば数社の企業でもって行っていると言う実態が公示されている情報でも判る。

政策により新たなる公共事業が行われようとも同じ経緯であり、一般の人からしたら疑義が生じるのも致し方ない。

範囲を狭くして市区町村自治体においてもその自治体にある企業などから公募して競争入札をするも、事業にもよるが規模が小さく採算などの面から辞退するなどしてしまう事例もあり、結局は同じような所が執り行うと言う経緯が起こっている。

例えば取り扱う企業などがその自治体に存在しないや1社しかないと言う自治体では近隣の自治体にある企業から相見積もりを取り、費用面などを考慮し選定するのでその自治体にある企業になると言う訳ではなく地元などに還元されない事例も多くあるかと思いますし、場合によっては同じ企業が長年取り扱うと言う事もあり得ます。

国や自治体でもそうだがよく行っているような事業についてはノウハウがあるが、特に最近ある様な新たなる技術を用いる事業については経験も知識もノウハウも無いと言う事も多く、取り扱いを慎重にしたとしてもとんでもない結果になると言うのはここ近年の事例を見ても明らかである。

予算規模や事業規模などが大きければ既得になり、小さくともある意味で既得に近い物があるので、公平さを保つと言う公募による競争入札制度自体が働かない事態が昔からあるも、それらの本質を知って理解したり正す事は行われるのは非常に少ないと言える。

若者だけが悪いと言うのはおかしい

最近かなりSNSでの迷惑動画や問題発言などについて活発に話題が発掘され続け、世間を騒然とさせている。

また当然の事ながらマスコミなどでも報じられたり、インフルエンサーでもこの件について度々話題として取り上げられたりしての便乗商法が盛んである。

これらにより更なる迷惑や問題などが新たに起こる事でそもそもの事件解決からかけ離れてしまっている物も今後も起こりそうな感じだ。

そんな中で幾つかの疑問など個人的にあるが、よくあるパターンの今の若者は…、と言うキーワードを取り上げていく。

何かしら事件や事故などが起きた際に、特定の年代や性別・国籍などを分類して批判の対象とする事例が古今東西湧き上がる事がある。

今回の事件で耳にするのが今の若者は…、最近の若者は…、我々の若いころは…、など特定の人々を批判したりするのが正当に聞こえる事が恐ろしい。

ニュースでも新聞でもネットでも何でも良いが、こういう言葉を聞いたり目にしたりすると、いやいや何をおっしゃるうさぎさん、思いあがりも甚だしいです。

いい歳をしている人でも、年配の人でもなんでも悪さをする人は幾らでもいるでしょうに、寧ろもっと悪質な事例・犯罪が多いのでは?

自身の世代は全て清廉潔白とでもいうのか、犯罪などする人がいないのか逆に聞いてみたいものですし、人によってはどの口がほざいている、お前が言うか?とも言いたくなります。

大人になったからと言って社会人になったからと言ってまともな人ばかりではないのが世の中。

今の若者だけが悪いみたいなレッテルを付けるのは良くない、今も昔も今後も気を付けた方が良いといつも思いながら見聞きしている。