あるあり日記

個人的な感覚・感想

8050問題と孤独死を考える

近年社会的な問題として取り上げられている8050問題と、年末年始などに起こりやすい孤独死について取り上げていきます。

今年に限って言えばこれ以外にも生活困窮・失業・精神崩壊などにより自殺者もこの年末年始にかけて増加していくであろうと考えられています。

今回はこのコロナ騒動に伴う自殺者の事は取り扱いません。

まず8050問題と言う事ですが、このマスコミなどで取り上げられる事とキーワード事態が既に結果から言えば問題です。

何にしても因果関係、そこに至る、その状況にならざるを得なかった背景などを先ずは考えるべきです。

多くの自治体・福祉団体・民生委員などから発覚するよりも、近隣や遠くに住む親戚などが発見するケースもあり、必ずしも相談員が働きかけるような状況下ではない事例が多くある事です。

同様に孤独死に関しても年々増加にあり、昨年度の状況では65歳以上の事例が多くの割合を占めて来ていると言う事も注意すべき点です。

更に発見に至る時が1日2日ではなく半年や酷い場合ですと1年以上も経過して見つかると言った様な事もあり、いかに社会的に孤立状態にあるかと言う実態が浮き出ている事を示しています。

8050問題と孤独死を関連して考えた時に、親に依存していると言う考え方や捉え方をする人々がいますが、これはひとえには正しいと言えません。

先にも述べたようにそこに至るまでの背景や経緯などを考える必要があり、また相談員などの支援があろうとも相談自体を拒否するケースもあったり、生活保護をかたくなに拒否するケース、信頼関係が構築できない(腹を割って話せる人がいない・性格人格相性の相違)事もあり相談窓口があったにせよ、支援制度があったにしても活用できない状況があります。

これは誰が悪いと言う事では無くそこに立ってしまった背景や経緯などの途中段階で相談や支援などが出来ていれば少なくとも救済できている人々はいる筈です。

現在では核家族化・個人自由主義・近隣や地域とのコミュニティ構築が出来ないなどにより、より一層問題を深刻化させている状況にあると言う事を知るべきです。

そもそも当事者が何をもって豊かで、何をもって幸福であるか、何をすれば満足(納得)できるのかは人それぞれであり、こと福祉従事者の自身が言うのもなんですが、福祉の知識やあり方と言う物がそもそも総合的な支援ではないと言う事が現時点で実感している所です。

高齢者で金銭的に余裕があっても家族と離れ施設で終焉を迎えるケースを考えた時に本人たちはそれで満足なのか?と言う事とその施設へ預ける家族の気持ちや考え方も様々であり、一概に施設入所を勧める事が当たり前ではありません。

また反対に在宅介護サービスの推進により少し身体機能や認知機能が低下したからと言って、福祉サービスを利用しなくてはいけない(ならない)と言う事も然りです。

話はだいぶ逸れてしまいましたが、8050問題も孤独死に関しても生み出したのは社会であり、技術発展によるものでもあり、知識を取り入れる機会が増えた事でもあり、全体的な発展による弊害と言えます。

しかしながら福祉従事者としては少なくとも自身が担当する人々だけでも納得のいく日常生活や終焉を迎えて頂ければと思っています。