あるあり日記

個人的な感覚・感想

ストレスに対する転嫁行動と適切な発散について

多くの人々が日常生活や仕事、対人関係など拘束されているような活動ではストレスが溜まりやすい。

人によりその溜まり方は環境、耐性、性格、発散、分散などで度合いは異なり一概にこれが正解と言う対処方法も人それぞれで異なる。

よく一般的にストレスなどの発散方法などが様々な媒体などで示されているが、個人により相違がある為に効果はいまいちと思える。

また発散したと思ってもその人の性格などで元々気が短い性格や発散方法が異常であったりなど特殊とも思えるが、かなりの割合で転嫁行動でとんでもない事を大小問わず行う傾向は多くある。

ストレスを発散できず溜めやすく長年蓄積するような人は精神的な病の発症と言う症状に陥り、正常な生活を送れなくなるような人々も今では認知されやすくなってきたこともあり軽重問わず増加傾向にある。

古い時代の人々はそれらの習慣とも言える環境が当たり前であった事もあり、若者や中年までは到底受け入れがたい事象であるので、ここで年配者との乖離が生じて家庭の中や会社の中や日常生活習慣の中でも上手く分かり合えないと言う人間関係の切り離しが起きる。

現在ではストレスを素直に溜めて我慢してしまう人や適切に分散して発散できない人や転嫁行動などで異常な行動に出てしまう人など極端な傾向が多く感じるが、一部では古き時代の人々との齟齬もあり理解しあえないと言う事例も含まれている為に、全てが全て異質であるとは言い難い。

躾や教育、体罰などで現在では特にデリケートで敏感な時代ですので、言葉や姿勢、行動だけでは伝えにくい分かりにくい理解できないなどにより、極端な事象が起きてしまう事も仕方がない部分もある。

今では昔のように比較的時間にゆとりのある生活が困難と思えるも、昔でも時間にゆとりが無い人々も多い事が何故か理解されなく、現在のゆとりの無さは家庭や個人的な趣味などに時間を当てると言う事が時間のゆとりを奪い、効率的と言う時短の物が多く広がり時間をかけてやると言う機会・習慣・集中力を奪ってしまった。

ストレスの発散と言う言葉が広がり、可逆的にコミュニティーが形成される事でまた異なったストレスを生じさせると言う本末転倒な事例もあるので、安易に人に迷惑にならない発散方法など多くは無いと言う事である。

そうした事から本来の性格や耐性から歪みが生じて捻じ曲がっていく性質へ変化する人々が浮き彫りになる。

浮き彫りになるのは良いが世間から浮いた存在、距離を置かれる存在、孤立化すればまた新たる歪んだ現象を引き起こす事は明らかであるも、今の習慣や慣例、生活などではそれらを律する事は難しい世の中となっている。